出典 |
フットノート |
エペソ 1:5 注2 |
神がわたしたちをあらかじめ印づけるとは、子たる身分へと運命づけることです。わたしたちは、創造される前から、神の子たちとなるように、あらかじめ定められていました。ですから、わたしたちは神の被造物として、神によって再生される必要があります。それは彼の命にあずかって、彼の子たちとなるためです。子たる身分は、命だけでなく、子の地位を持つことをも示します。神が印づけられた者は、彼の子たちとなる命と、彼を相続する地位を持っています。聖とされるとは、神がご自身をわたしたちの中に入れ込み、彼の性質をわたしたちと混ざり合わせることによって、聖別されることです。これは過程、手順です。ところが神の子たちとなることは、目的、目標です。それはわたしたちが神の御子と結び付けられて、ある特定の形、あるいは形状、すなわち、神の長子のかたちに同形化され(ローマ8:29.コロサイ1:15)、こうしてわたしたちの全存在が、体も含めて(ローマ8:23)、神によって「息子化」されることです。 |
エペソ 1:5 注1 |
あるいは、あらかじめ印づけた。あらかじめ印づけることは過程ですが、あらかじめ定めることは目的であって、それは、前もって運命を決定することです。神はこの世の基が置かれる前からわたしたちを選び、ある運命へと、わたしたちをあらかじめ印づけられました。 |
エペソ 1:6 注4 |
愛する者とは、神の愛する御子、神が喜ばれる方です(マタイ3:17.17:5)。ですから、神がわたしたちを恵まれるとは、わたしたちを神が喜ばれる対象とすることです。これは神にとって、本当に喜びです。キリストの中で、わたしたちはあらゆる祝福をもって、神に祝福されています。愛する者の中で、わたしたちは恵まれ、神の愛顧と喜びの対象とされました。わたしたちはそのような対象として、彼の恵みにあって、彼の喜びである愛する者の中で神を享受し、神はわたしたちを享受されます。彼の愛する者の中で、わたしたちもまた彼の喜びとなります。 |
エペソ 1:6 注3 |
これは、わたしたちを恵みの地位に置いて、わたしたちを神の恵みと愛顧の対象とならせるため、すなわち、わたしたちが神のすべてを享受するためです。 |
エペソ 1:6 注2 |
栄光は表現された神です(出40:34)。「彼の恵みの栄光」とは、神の恵み(わたしたちの享受としての彼ご自身)が、彼を表現することです。わたしたちは、恵みを受けて神を享受する時、栄光の感覚を持ちます。 |
エペソ 1:6 注1 |
神の恵みの栄光の賛美は、子たる身分から出てきたものであり、その結果です(5節)。神がわたしたちを子たる身分へとあらかじめ定められたことは、彼の恵みにある彼の表現の賛美、すなわち、彼の恵みの栄光の賛美のためです。最終的に、宇宙のあらゆる積極的な事物は、子たる身分のゆえに神を賛美し(ローマ8:19)、こうして、この節で語られていることが成就するでしょう。 |
エペソ 1:7 注1 |
わたしたちは選ばれ、あらかじめ定められました。しかし創造された後、わたしたちは堕落しました。ですから、わたしたちは贖いを必要とします。神は贖いを、キリストの中で、彼の血を通して、わたしたちのために成就されました。これは、わたしたちに与えられた神の祝福のもう一つの項目です。 |
エペソ 1:7 注2 |
わたしたちの違犯の赦しは、キリストの血を通しての贖いです。血を流すことなしには、罪の赦しはありません(ヘブル9:22)。贖いは、キリストがわたしたちの違犯のために成就されたものです。赦しは、キリストが成就されたものを、わたしたちの違犯に適用することです。 |
エペソ 1:8 注2 |
知恵は神の内側にあって、わたしたちに関するみこころを計画し企てるためです。思慮は神の知恵の適用です。神はまず、彼の知恵の中で計画し、企てられました。次に彼は、わたしたちのために計画し企てたものを、思慮を用いて適用されました。知恵はおもに、永遠における神のご計画のためでした。思慮はおもに、時間の中で神のご計画を遂行するためです。神は、永遠において知恵の中で計画したことを、今や時間において、思慮の中で遂行しておられます。 |
エペソ 1:8 注1 |
神の恵みは、豊富であるだけでなく(7節)、あふれてもいます。そのような恵みは、わたしたちを神の嗣業とし(11節)、神のすべてを受け継ぐ資格をわたしたちに与えます(14節)。 |