出典 |
フットノート |
エペソ 1:9 注2 |
神は永遠において、一つのみこころを計画されました。このみこころは、彼の中に隠されていました。ですから、それは奥義でした。神は彼の知恵と思慮の中で、この隠された奥義を、キリストにある彼の啓示を通して、すなわち、キリストの受肉、十字架、復活、昇天を通して、わたしたちに知らせてくださいました。 |
エペソ 1:9 注1 |
みこころの奥義をわたしたちに知らせることは、神の知恵と思慮の一つの項目です。 |
エペソ 1:9 注4 |
神の大いなる喜びは、彼がご自身の中で計画されて、時代の満了時のエコノミーへ至るものです(10節)。これは、神ご自身が、彼の永遠の目的の始まり、起源、領域であることを示します。何ものも、これを覆すことはできません。万物はこのために働いています。彼はこのことについて、だれとも協議されませんでした。 |
エペソ 1:9 注3 |
みこころの奥義をわたしたちに知らせることは、神の心の喜びでした。 |
エペソ 1:10 注2 |
「時代」とは、各時代のことを言います。時代の満了時とは、あらゆる時代における神のすべての経綸が完了した後、新しい天と新しい地が現れる時です。全部で四つの時代があります。すなわち、罪(アダム)の時代、律法(モーセ)の時代、恵み(キリスト)の時代、王国(千年期)の時代です。 |
エペソ 1:10 注1 |
あるいは、計画。ギリシャ語の「オイコノミア」は、「家の法律」、「家の管理、あるいは行政」を意味し、そこから派生して、「行政上の按配、計画、エコノミー」となります(参照,Iテモテ1:4のノート3)。このエコノミーは、神が彼の願いにしたがってご自身の中で計画し、企てられたものであり、時代の満了時に、キリストの中で万物をかしらにつり上げることです。これは、三一の神のあふれる命の供給を命の要素として、召会のすべての肢体へと分与することを通して、成就されます。こうしてすべての肢体は、死の状態から引き上げられて、からだに達するのです。 |
エペソ 1:10 注4 |
文字どおりには、あのキリスト。1節(1節)と3節(3節)に述べられている方のことを言っています。この方の中に神の霊の祝福があり、この方の中で、祝福にあずかっている忠信な聖徒たちがいます。彼は特別な方です。ですから、彼は「あのキリスト」と呼ばれるのです。12節(12節)と20節(20節)も同じです。 |
エペソ 1:10 注3 |
神はキリストを、万物の上にかしらとされました(22節)。あらゆる時代における神のすべての経綸を通して、万物が新天新地において、キリストの中でかしらにつり上げられるでしょう。それは、神の永遠の行政とエコノミーとなるでしょう。このように、万物をかしらにつり上げることは、3節から9節(3―9節)で述べられているすべての項目の結果です。22節(22節)はさらに、このかしらにつり上げることが、召会に対してであり、キリストのからだが、かしらとしてのキリストのすべてのものを分け合い、天使と人の反逆によって引き起こされた、死と暗やみの中にある宇宙的崩壊の山から、救われるためのものであることを示しています。信者がこのかしらにつり上げられることにあずかるのは、召会生活の中でつり上げられようとし、命において成長し、キリストの光の下で生きることによってです(ヨハネ1:4.啓21:23―25)。すべてのものがキリストの中でかしらにつり上げられる時、絶対的な平和と調和があり(イザヤ2:4.11:6.55:12.詩96:12―13)、また崩壊からの完全な救いがあるでしょう。これは、万物の復興の時から始まります(使徒3:21)。 |
エペソ 1:11 注1 |
あるいは、嗣業を獲得した。ギリシャ語の動詞は、「くじで選ぶ、あるいは指定する」という意味です。ですから、この節の文字どおりの意味は、キリストの中でわたしたちは選ばれた嗣業として定められた、ということです。わたしたちは嗣業として定められ、神を嗣業として受け継ごうとしています。一方で、神がわたしたちを享受するために、わたしたちは神の嗣業とされました(18節)。もう一方で、わたしたちが享受するために、神をわたしたちの嗣業として受け継ぎます(14節)。 |
エペソ 1:11 注4 |
神のみこころは、彼の意図です。神の熟慮は、彼のみこころ、あるいは意図を成就する道を、彼が考えられることです。 |