出典 |
フットノート |
エペソ 1:14 注4 |
ここの「贖い」は、わたしたちの体の贖いを言います(ローマ8:23)。すなわち、わたしたちの卑しい体が、栄光の体に変貌することです(ピリピ3:21)。聖霊は今日、わたしたちの神聖な嗣業の保証、前味わい、見本であり、わたしたちの体は、栄光のうちに変貌する時が来ます。その時には、わたしたちは神を完全に受け継ぐでしょう。わたしたちに与えられた神の祝福の範囲は、永遠の過去における神の選びから(4節)、永遠の未来の体の贖いまで、すべての重要点を含みます。 |
エペソ 1:14 注3 |
「獲得された所有の民の贖いをもたらし」とは、13節(13節)の証印を押すことの目的です。聖霊の証印は生きており、わたしたちの内で働いて、神の神聖な要素をわたしたちに浸透させ、わたしたちを造り変えます。そしてついにわたしたちは神の命の中で円熟し、最終的に、わたしたちの体さえも、完全に贖われます。 |
エペソ 1:14 注6 |
これは、この言葉の第三回目の繰り返しであり、今回は、神がわたしたちに与えられた祝福に関するこの区分(3―14節)の結びです。3節から6節(3―6節)は、父なる神がわたしたちのために計画されたこと、すなわち、わたしたちを選び、子たる身分へとあらかじめ定められたことが、彼の恵みの栄光の賛美となるためであることを啓示します。7節から12節(7―12節)は、子なる神が、父なる神の計画されたことをいかに成就されたか、すなわち、わたしたちを贖い、神の嗣業とされて、彼の栄光の賛美となることを啓示します。13節から14節(13―14節)は、霊なる神が、子なる神の成就されたことをいかにわたしたちに適用されるか、すなわち、わたしたちに証印を押し、わたしたちの永遠の、神聖な嗣業の保証と前味わいとなられ、神の栄光の賛美となることを告げます。神がわたしたちに与えられる祝福の中で、三一の神の栄光は、三重の賛美に値します。 |
エペソ 1:15 注1 |
多くの古代の写本はこうなっています、「あなたがたの間にあって、あなたがたがすべての聖徒に対して持っている主イエスにある信仰」。 |
エペソ 1:17 注1 |
主イエス・キリストは神ご自身ですが(ピリピ2:6)、受肉にあって、人となられました。彼は人として、神の創造と関係があります。ですから、創造主なる神は、彼の神です。彼の受肉は、創造主なる神を、神の被造物である人の中にもたらしました。彼は、受肉した神が中におられる人です。 |
エペソ 1:17 注2 |
「栄光」は表現された神であり、「父」という称号は再生を暗示しています。ですから、栄光の父は、彼の多くの子たちを通して表現された、再生する神です。わたしたちはすでに再生されました(Iペテロ1:3)。そして、神の栄光の表現の中で、栄光化されるでしょう(ローマ8:30)。 |
エペソ 1:17 注4 |
知恵は、わたしたちの霊の中にあって、神の奥義を認識させます。啓示は、神の霊に属するもので、おおいを開いてわたしたちにビジョンを見せます。わたしたちはまず、知恵、すなわち理解する能力を持って、霊の事柄を知ります。次に、神の霊は霊の事柄を啓示して、わたしたちに霊的な理解を与えます。 |
エペソ 1:17 注3 |
ここの霊は、神の霊が内住しているわたしたちの再生された霊であるに違いありません。そのような霊を、神はわたしたちに与えておられます。それは、わたしたちが知恵と啓示を持って、神と彼のエコノミーを知るためです。 |
エペソ 1:18 注1 |
霊の事柄を見る目です。わたしたちは知恵、知る能力を持っており、また啓示、霊の事柄の啓示を持っています。しかしながら、わたしたちはさらに目が、すなわち、その事柄を見る霊的能力が必要です(使徒26:18.啓3:18)。 わたしたちの心の目が照らされるためには、良心、思い、感情、意志、すなわち心の各部分が、徹底的に対処される必要があります(参照、3:17のノート1)。まず、開かれた霊ときよめられた良心が必要です。良心はわたしたちが罪を告白し、対処することによって、またキリストの贖いの血を注がれることによって、きよめられます(ヘブル9:14.10:22)。次に、冷静な思い(IIテモテ1:7とノート2)、愛する感情(ヨハネ14:21)、服従する意志(ヨハネ7:17)が必要です。こうして、純粋な心を持つことができます。わたしたちがそのような霊と心を持つなら、心の目は見ることができます。 |
エペソ 1:18 注2 |
わたしたちは、知恵、啓示、見る目だけでなく、啓示された物事を明らかにするための光も必要とします。それは、わたしたちがビジョンを持つためです。 |