出典 |
フットノート |
エペソ 1:18 注4 |
神の召しは、3節から14節(3―14節)に挙げられたすべての祝福の総合計です。すなわち、父なる神の選びとあらかじめ定めること、子なる神の贖い、霊なる神の証印を押すことと担保を入れることです。わたしたちは召された時、御父の選びとあらかじめ定めることに、御子の贖いに、その霊の証印を押すことと担保を入れることにあずかりました。 |
エペソ 1:18 注3 |
神の召しの望みは、次のものを含みます:(1)キリストご自身と、彼が再来する時にわたしたちにもたらされる救い(コロサイ1:27.Iペテロ1:5,9).(2)地的で物質的な領域から、天的で霊的な領域に携え上げられて移されること、栄光化されること(ローマ8:23―25,30.ピリピ3:21).(3)千年期でキリストと共に王として享受すること(啓5:10.IIテモテ4:18).(4)新エルサレムでキリストを極みまで享受し、新天新地で宇宙的な永遠の祝福を持つこと(啓21:1―7.22:1―5)。 |
エペソ 1:18 注6 |
神はまずわたしたちを、彼の獲得された所有の民として(14節後半)、彼の嗣業とされました(11節前半)。そしてわたしたちの嗣業として(14節前半)、彼であるすべて、彼の持っているすべて、彼の成就したすべてにあずからせてくださいました。究極的に、これらすべては、永遠に、聖徒たちの中にある彼の嗣業となります。これは、彼の永遠の表現となるでしょう。それは彼のすべての豊富を伴う彼の栄光であって、宇宙的に、永遠に、極みまで彼を表現するでしょう。 |
エペソ 1:18 注5 |
神の栄光は豊富です。この豊富は、神の神聖な特質を構成するさまざまな項目であり、例えば、光、命、力、愛、義、聖などが、さまざまな角度から表現されたものです。 |
エペソ 1:19 注2 |
わたしたちに働く神の超越した偉大な力は、彼がキリストの中で働かせた、彼の力強い大能が活動することによります。わたしたちに働く神の力は、彼がキリストの内に働かせた力と同じです。キリストはかしらであり、わたしたちはからだです。からだはかしらの中で活動するその力にあずかるのです。 |
エペソ 1:19 注1 |
使徒の祈りによれば、知らなければならない第三のことは、わたしたちに働く神の力がどんなに超越して偉大であるか、ということです。これは今日わたしたちにとって、とても主観的で経験的なものです。わたしたちに働く神の力は、超越して偉大です。わたしたちはそれを知り、経験する必要があります。 |
エペソ 1:20 注1 |
神がキリストの内に働かせた力は、第一に、キリストを死人の中から復活させました。この力は、死、墓、死人がとどめられているハデスに打ち勝ちました。死とハデスは、神の復活の力のゆえに、キリストをとどめておくことができませんでした(使徒2:24)。 |
エペソ 1:20 注4 |
「天上」とは、第三の天、すなわち神の住まわれる宇宙で最高の場所だけでなく、キリストが神の力によって座らせられた天の状況や、その雰囲気のことも言います。 |
エペソ 1:20 注3 |
神の右、すなわちキリストが神の超越した偉大な力によって座らせられた所は、最も誉れある場所、最高の権威ある場所です。 |
エペソ 1:20 注2 |
神がキリストの内に働かせた力は、第二に、キリストを天上で神の右に座らせ、万物を超えてはるかに高くされました(21節)。 |