聖書セミナー2025年5月17日(土)開催&聖書セミナーforビギナーズ2025年5月10日(土)開催
オンライン聖書―回復訳─注解検索結果オンライン聖書―回復訳─注解検索結果

[1ページ目] [前10ページ] [591 592 593 594 595 596 597 598 599 600 ] [後10ページ] [最後のページ] 591/981ページ 計9804

出典

フットノート

エペソ 2:3 注4 わたしたちは、不従順の子として、激怒の下の子でもありました。わたしたちは死の領域の中で、自分の不従順のゆえに、神の激怒の下にありました。わたしたちは、自分の不従順と、神の激怒の両方から救われました。
エペソ 2:4 注1 「しかし・・・・神」は、わたしたちの地位を転換させた要因を示しています。
エペソ 2:4 注2 愛の対象は、愛らしい状態の中にあるべきです。ところがあわれみの対象は、いつもあわれむべき状態の中にあります。ですから、神のあわれみは、彼の愛よりもさらに遠くまで届きます。神がわたしたちを愛してくださるのは、わたしたちが彼の選びの対象であるからです。ところがわたしたちは堕落のゆえに、あわれむべき者、さらに自分の違犯と罪の中に死んだ者となりました。ですから、わたしたちは神のあわれみを必要とします。神は彼の大きな愛のゆえに、あわれみに富んでいて、わたしたちをそのみじめな地位から、彼の愛を受けるにふさわしい状態にまで救い出してくださるのです。
エペソ 2:4 注3 あるいは、満ちあふれる愛―満ちあふれる大きな愛です。
エペソ 2:5 注3 第1章10節(1:10)のノート4を参照。
エペソ 2:5 注2 神は、十字架につけられたイエスを生かした時、わたしたちを共に生かしてくださいました。ですから、神はわたしたちを、キリストと共に生かしてくださったのです。
エペソ 2:5 注1 ローマ人への手紙とは違って、エペソ人への手紙は、わたしたちを罪人と見なしません。この手紙は、わたしたちを死んだ人と見なします。罪人としてわたしたちは、ローマ人への手紙に啓示されているように、神の赦しと義認を必要とします。ところが死んだ人としては、生かされる必要があります。赦しと義認はわたしたちを神の前に連れ戻し、彼の恵みを享受させ、彼の命にあずからせます。しかし生かされることは、わたしたちをキリストのからだの生ける肢体として、彼を表現させます。神がわたしたちを生かされたのは、彼の永遠の命、すなわちキリストご自身を(コロサイ3:4)、彼の命の霊を通して(ローマ8:2)、わたしたちの死んだ霊の中へと分け与えることによってでした。彼はわたしたちを、キリストと共に生かしてくださいました。
エペソ 2:5 注5 わたしたちが救われたのは、罪人としてだけでなく、死人としてでもありました。その救いは、キリストの死とその贖いによるだけでなく、彼の復活とその復活の命、さらに彼の昇天とその超越することによるものでした。これは、死んだ罪人に与えられた、超越した救いです。この救いは、受肉し、十字架につけられ、復活し、昇天したキリスト、すなわち、手順を経られた三一の神の化身によるものです。そのような救いは、召会を生み出し、召会は、手順を経られた神聖な三一の結果であって、彼を表現します。
エペソ 2:5 注4 恵みは無代価です。ここでの恵みは、わたしたちの享受のために、神を無代価で分与することだけでなく、無代価で救う神の行動をも示しています。そのような恵みによって、わたしたちは自分のみじめな死の地位から、驚くべき命の領域へと救い入れられたのです。
エペソ 2:6 注5 神はキリストの中で、わたしたちすべてを共に、一度限り、天上で座らせてくださいました。これは、キリストが天に昇られた時に成就されました。そしてわたしたちが彼を信じた時から、キリストの霊によって、わたしたちに適用されてきました。今日わたしたちは、この成就された事実を信じることを通して、わたしたちの霊の中で、その実際を認識し経験します。
[1ページ目] [前10ページ] [591 592 593 594 595 596 597 598 599 600 ] [後10ページ] [最後のページ] 591/981ページ 計9804

オンライン聖書―回復訳-注解検索結果