出典 |
フットノート |
エペソ 2:6 注2 |
わたしたちの見方からすれば、わたしたちは自分の死の地位から、一人一人、復活させられました。ところが神の見方によれば、わたしたちはみな、共に復活させられました。それは、イスラエル人全体が、紅海の死の水から共に復活させられたのと同じです(出第14章)。 |
エペソ 2:6 注1 |
わたしたちを生かすことは、命における神の救いの初期の段階です。これに続いて、神は死の地位から、わたしたちを復活させてくださいました。 |
エペソ 2:6 注4 |
天上は、わたしたちがキリストの中で救い入れられた最高の地位です。ローマ人への手紙では、わたしたちの義としてのキリストが、わたしたちを神に受け入れられる状態へともたらしてくださいました。エペソ人への手紙では、わたしたちの命としてのキリストが、わたしたちを、神のあらゆる敵に超越する地位へと救ってくださいました。この天の性質と特徴を帯びた天の雰囲気の中で、わたしたちは天の民です。 |
エペソ 2:6 注3 |
命における神の救いの第三段階は、わたしたちを共に、天上で座らせることです。神はわたしたちを死の地位から復活させただけでなく、宇宙における最高の場所に、座らせてくださいました。 |
エペソ 2:7 注4 |
慈愛は、あわれみと愛から出てくる情け深い優しさです。神の恵みは、このような慈愛の中でわたしたちに与えられます。 |
エペソ 2:7 注3 |
神の恵みの豊富は、あらゆる制限を卓越しています。それは、わたしたちの享受のための神ご自身の豊富です。それは永遠にわたって、公に展覧されます。 |
エペソ 2:7 注2 |
千年期と永遠の将来の時代です。それは、召会が生み出される現在の時代の後に来ます。 |
エペソ 2:7 注1 |
すなわち、全宇宙に対して公に展示することです。 |
エペソ 2:8 注1 |
「なぜなら」は、神が彼の恵みを展覧される(7節)理由を示します。わたしたちは神の恵みによって救われたのですから、神はそれを展覧することができます。 |
エペソ 2:8 注2 |
恵みはわたしたちに分与された神です。ですから、恵みによって救われるとは、わたしたちに分与された手順を経た三一の神を持つことによって救われることを意味します。 |