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出典

フットノート

エペソ 2:18 注3 まず、ユダヤ人と異邦人の信者は、一つからだの中で神に和解させられました(16節)。それは地位上のことでした。次に彼ら両者は、一つ霊の中で、父へと近づきました。これは経験的です。わたしたちは、地位的に持っているものを経験的に享受するために、その霊の中にいる必要があります。
エペソ 2:18 注4 わたしたちは、地位的に神に和解させられました。経験的には、父へと近づきました。神に和解させられるとは、救われることです。父へと近づくとは、神を享受することです。神は命の源であって、わたしたちを再生し、神の子たちとしてくださいました。
 ここに、神格の三一が暗示されています。すなわち、完成者、手段である子なる神を通して、執行者、適用である霊なる神の中で、創始者であり、わたしたちの享受の源である父なる神へと、わたしたちは近づきました。
エペソ 2:18 注2 父へと近づく道は、キリストの十字架と彼の血です(ヘブル10:19)。
エペソ 2:19 注1 異邦人信者のことを言っています。
エペソ 2:19 注2 他国人は異国人のことであり、寄留者は、イスラエルの間に寄留している市民権のない外国人のことです。ここではいずれも、異邦人を指しています。
エペソ 2:19 注3 「聖徒たちと同じ国籍の者」は、神の王国を示します。すべての信者は、ユダヤ人も異邦人も、神の王国の市民です。神の王国は、彼がご自身の権威を執行される範囲です。
エペソ 2:19 注4 「神の家族の者」は、神の家を示します。ユダヤ人信者と異邦人信者は両方とも、神の家の者です。神の家は、命と享受の事柄です。すべての信者は、神の家へと神から生まれて、彼の豊富を享受します。神の王国は、権利と責任の事柄です。神の家へと生まれたすべての信者は、神の王国の中で市民権を持ち、また責任を担います。聖徒たちは個別的ですが、神の家は団体的であり、その結果は神の王国です。
エペソ 2:20 注2 召会の土台はキリストです(Iコリント3:11)。キリストの奥義が使徒たちに啓示されたのですから(3:5―6)、彼らが受けた啓示は、召会が建造される土台と考えられます。これは、マタイによる福音書第16章18節(マタイ16:18)の岩と一致します。岩は、キリストであるだけでなく、キリストに関する啓示でもあり、その上に、キリストは彼の召会を建造されます。ですから、使徒たちと預言者たちの土台とは、召会を建造するために彼らが受けた啓示です。
エペソ 2:20 注1 召会は、キリストのからだとして、すでに再生されましたが、命の中で成長する必要があります。召会は、神の家として、建造されつつあります。成長と建造は、別々のことではありません。なぜならからだの成長は、家の建造であるからです。
エペソ 2:20 注3 ここでは、キリストは土台としてではなく(イザヤ28:16)、隅の石として述べられています。なぜなら、ここでのおもな関心は、土台ではなく、隅の石であるからです。それは、二つの壁を結び付けます。一つの壁はユダヤ人信者であり、もう一つの壁は異邦人信者です。ここで、土台として強調されているのは、キリストではなく、キリストに関する啓示を受けた使徒たちと預言者たちです。ユダヤ人建築者たちがキリストを捨てた時、彼らは隅の石としての彼を捨てたのです(使徒4:11Iペテロ2:7)。彼は、異邦人をユダヤ人と結び付けて、神の家を建造される方です。
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