出典 |
フットノート |
エペソ 3:1 注1 |
第1章と第2章は、召会の啓示を取り扱います。この章は、召会の構成を取り扱います。第1章と第2章で、召会に与えられた神の祝福と、召会が何であり、どのようにして生み出されるかを啓示した後、使徒はこの章から、自分の啓示にしたがって、神の召しにふさわしく歩くようにと、聖徒たちに懇願することを始めました。召会が実行上、経験的に構成され、実際化するために、彼は自分が執事であり(2節)、恵みと(2節)啓示を(3,5節)受けて、高い福音の奉仕者となった者であると説明し、召会を生み出すために、キリストの豊富を福音として宣べ伝えました。 |
エペソ 3:1 注2 |
使徒パウロは、自分をキリストの囚人と考えました。表面的には、彼は獄中に監禁されていました。実際には、キリストの中に捕らえられていたのです。そのような身分、彼が実際に生きていた身分に基づいて、彼は聖徒たちに懇願しました。パウロは第1章と第2章で、召会に関する神の奥義の啓示を解き放つことでは、神のみこころによるキリストの使徒、という身分を取りました。その身分は、召会に関する彼の啓示の権威に基づいていました。神の召しにふさわしく歩くようにと聖徒たちに懇願することでは、彼は主の囚人という身分を用いました。キリストの使徒としての彼の身分は、神の啓示を解き放つ資格を彼に与えました。主の囚人としての彼の身分は、主にある彼の歩みを言い表しました。彼はそれによって、自分が行なったように主の中を歩くようにと、聖徒たちを促し、懇願することができました。もしわたしたちがキリストを、自分の牢獄として享受するのでしたら、召会が構成されるために、主の中を歩くでしょう。 |
エペソ 3:2 注1 |
2節から21節(2―21節)は挿入であって、第4章1節(4:1)は第3章1節(3:1)の継続です。この挿入の懇願する言葉の中で、使徒は異邦人信者たちに、彼の務めについて述べましたが、それは、恵みの執事職の中で、キリストの奥義の啓示を通して彼が受けたものです。彼はまた、この挿入の中で、召会がキリストを極限まで経験するようにと祈りました。 |
エペソ 3:2 注3 |
恵みとは、キリストの豊富を言います(8節)。神はその豊富を、キリストにあってわたしたちに与えてくださり、わたしたちはそれを得て、享受します。パウロの務めは、キリストの豊富を恵みとして信者たちに分与して、彼らに享受させることでした。 |
エペソ 3:2 注2 |
ギリシャ語では、9節(9節)と第1章10節(1:10)にある「エコノミー」と同じ言葉です。この言葉は、神に関しては神のエコノミー、神の行政を意味し、使徒に関しては、執事職(「執事職」はIコリント9:17でも使われている)を意味します。恵みの執事職は、神の恵みを神に選ばれた民に分与して、召会を生み出し、建造するためです。この執事職から、使徒の務めが出てきます。使徒は神の家の執事であって、キリストを神の恵みとして、神の家族に供給します。 |
エペソ 3:3 注1 |
神の隠された目的は奥義ですが、この奥義を開くことが啓示です。使徒の務めは、この啓示を遂行して、召会を生み出すことでした。 |
エペソ 3:4 注1 |
神の奥義(コロサイ2:2)はキリストです。ここのキリストの奥義は召会です。神は奥義です。キリストは、神の化身として神を表現しますから、神の奥義です。キリストもまた奥義です。召会はキリストのからだとして彼を表現しますから、キリストの奥義です。この奥義は神のエコノミーです。それは、神の化身としてのキリストを、神の選びの民の中に分与して、からだを生み出し、キリストにある神の化身の増し加わりとならせ、こうして神が団体の表現を持たれることです。 |
エペソ 3:5 注2 |
「使徒」は、ギリシャ語では「遣わされた者」を意味します。使徒は、キリストによって遣わされた者であり、彼を代表して、神の新約エコノミーにおける彼の使命を遂行します。預言者は、神の代弁者(スポークスマン)です。彼らは第一義的には、将来のことを予告するのではなく、神の永遠のエコノミーの啓示にあって、神のために語り、神を語り出します。 |
エペソ 3:5 注2 |
「使徒」は、ギリシャ語では「遣わされた者」を意味します。使徒は、キリストによって遣わされた者であり、彼を代表して、神の新約エコノミーにおける彼の使命を遂行します。預言者は、神の代弁者(スポークスマン)です。彼らは第一義的には、将来のことを予告するのではなく、神の永遠のエコノミーの啓示にあって、神のために語り、神を語り出します。 |
エペソ 3:5 注3 |
これは、使徒たちと預言者たちの人の霊、神の聖霊によって再生され、内住された霊です。それは混ざり合った霊、人の霊と神の霊が混ざり合った霊、と考えることができます。そのような混ざり合った霊は、キリストと召会に関する新約の啓示が、使徒たちと預言者たちに啓示される手段です。わたしたちはこの啓示を見るために、同じ種類の霊を必要とします。 |