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出典

フットノート

マタイ 14:2 注1 すなわち、働いており、現れている。
マタイ 14:10 注1 第12章24節(12:24)で、ユダヤ教の指導者たちは、ユダヤ国民全体を代表し、天の王を極みまで拒絶しました。これは、主と彼らとの天然の関係を放棄させました(12:46―50)。そして第13章53節から58節(13:53―58)で、彼はガリラヤ人によっても拒絶されました。第14章で、マタイは教理にしたがって出来事を配列し、異邦人の政治が王の先駆者をどのように取り扱ったかを明らかにしています。異邦人の政治は邪悪で、腐敗と暗黒に満ちていました。ここまでに、マタイはすべてのユダヤ人、ガリラヤ人、異邦人が、天の王国の務めをどのように拒絶したかの完全な絵を与えました。
マタイ 14:13 注1 宗教的、文化的、政治的な人々の拒絶のために、天の王は彼らを離れて、一人で人里離れた所へ行かれました。これは、彼がその時から、人里離れた所、文化のない所、宗教的、政治的、文化的な人々から離れて、身を隠そうとされたことを示しています。彼は舟に乗って、身を隠されました。これは、彼が召会を通して隠れることを意味します。文明世界の拒絶のために、主は召会を通して、ご自身を宗教的、政治的社会から、あまり文化のない領域に、常に身を隠し続けてこられました。
マタイ 14:13 注2 すべての人の拒絶にもかかわらず、なおも多くの者が天の王に従って行きました。彼らは自分たちの町々を離れて、天の王に従って行きました。王が彼らの町々を尋ねて来られたのではなく、彼らが自分たちの文化的な町々を離れて、人里離れた所におられる天の王に従ったのです。歴代、真にキリストに従う者たちは、文化的な領域を離れて、文化的な世界の外におられる彼らの天の王に従って行きました。
マタイ 14:15 注1 文字どおりには、過ぎています。
マタイ 14:16 注1 弟子たちは主に、群衆を解散させ、行って自分たちの食物を買わせるようにと頼みました(15節)。しかし主は、弟子たちが群衆に何か食べる物を与えるようにと言われました。弟子たちの観念は、人々に何かをするよう求めることでした。これは律法の原則です。しかし主の観念は、人々に何かを与えて享受させることです。これは恵みの原則です。
マタイ 14:16 注2 この奇跡の記録における聖霊の啓示する意図は、天の王に従う者たちの真の必要とは、彼らの飢えを満たすための適切な食物であることを示すことです。キリストの弟子たちは、これを知りませんでした。従って来た群衆も知りませんでした。しかし、天の王はこれを知っておられました。そして奇跡的な事を行なって、彼らの真の必要とその必要に対する彼の備えを、彼らに印象づけられました。彼らが必要としたすべては、この奇跡の中で象徴されたように、彼らの霊的飢えを満たす彼の復活の命でした。
 天の王が行なわれたことは、彼に従う者たちが、この拒絶する世の中で彼に従う時、彼がその必要を備えてくださることを、強く、はっきりと示しています。これは、王国の民が何を食べるかについて思い煩う必要はないという、天の憲法の中の彼の言葉と一致します(6:31―33)。
マタイ 14:17 注1 ヨハネによる福音書第6章9節(ヨハネ6:9)は、これら五つのパンが大麦のパンであることを告げています。大麦は、復活したキリストを予表します(レビ23:10)。ですから大麦のパンは、わたしたちの食物としての、復活の中のキリストを象徴します。パンは植物の命からで、キリストの命の再生の面を象徴し、魚は動物の命からで、キリストの命の贖いの面を象徴します。わたしたちの霊的な飢えが満たされるためには、キリストの再生する命と贖う命の両方を必要とします。これら両面は、パンと魚という小さなものによって象徴されています。これは、天の王が、彼に従う者たちにこの時代に、偉大な王として彼らに君臨するためではなく、彼らを養う少しばかりの食物として来られたことを示します。ヨハネ第6章9節(ヨハネ6:9)のノート2を参照。
マタイ 14:17 注1 ヨハネによる福音書第6章9節(ヨハネ6:9)は、これら五つのパンが大麦のパンであることを告げています。大麦は、復活したキリストを予表します(レビ23:10)。ですから大麦のパンは、わたしたちの食物としての、復活の中のキリストを象徴します。パンは植物の命からで、キリストの命の再生の面を象徴し、魚は動物の命からで、キリストの命の贖いの面を象徴します。わたしたちの霊的な飢えが満たされるためには、キリストの再生する命と贖う命の両方を必要とします。これら両面は、パンと魚という小さなものによって象徴されています。これは、天の王が、彼に従う者たちにこの時代に、偉大な王として彼らに君臨するためではなく、彼らを養う少しばかりの食物として来られたことを示します。ヨハネ第6章9節(ヨハネ6:9)のノート2を参照。
マタイ 14:18 注1 わたしたちが主から受けているものは何であれ、主に持って行く必要があります。それは、多くの他の人にとって、大いなる祝福となるためです。主はしばしば、わたしたちが彼にささげたものを用いて、多くの他の人の必要に備えられます。今日も、主は彼に従う者の必要を、このように備えられます。
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