出典 |
フットノート |
エペソ 4:1 注1 |
この節は一部分、第3章1節(3:1)の繰り返しであり、第3章1節(3:1)は、第4章から第6章における使徒の勧告の始まりです。これは、第3章2節から21節(3:2―21)が挿入部分であることを示します。第3章1節(3:1)のノート2を参照。 |
エペソ 4:1 注3 |
本書は、二つの主要部分に分けられます。第一は、第1章から第3章までから成り、召会がキリストにあって天上において得た祝福と地位を啓示します。第二は、第4章から第6章までから成り、召会がその霊の中で地上において持つべき生活と責任に関して、わたしたちに命じています。その基本的な命令は、わたしたちが神の召しにふさわしく歩くことであり、その召しは、第1章3節から14節(1:3―14)に啓示されているように、召会に与えられた祝福の総合計です。召会の中で、三一の神の満ちあふれる祝福の下で、聖徒たちは御父の選びと定め、御子の贖い、その霊の証印を押すことと担保を入れるにふさわしく歩くべきです。ですから、第4章から第6章で、召会が持つべき生活と、召会が担うべき責任を見ます。 |
エペソ 4:2 注1 |
謙虚であるとは、低い身分にとどまっていることであり、柔和であるとは、自分のために争わないことです。わたしたちは自分を取り扱うことで、これら二つの美徳を活用すべきです。辛抱強さとは、虐待を耐え忍ぶことです。わたしたちは他の人を取り扱うことで、この美徳を活用すべきです。これらの美徳によって、わたしたちは互いに忍び合う(ただ我慢するだけではなく)べきです。すなわち、問題のある人たちを捨てるのではなく、愛の中で忍ぶのです。これは命の表現です。 これらの美徳は、わたしたちの天然の人性にではなく、イエスの人性の中に見いだされます。これらの美徳が、3節(3節)にあるその霊の一の前に述べられているのは、わたしたちがその霊の一を保つために、これらの美徳を持たなければならないことを示します。これは、結合する霊の中に、造り変えられた人性、キリストの復活の命によって造り変えられた人性があることを暗示します。 |
エペソ 4:3 注3 |
キリストは数々の規定に基づくすべての相違を、十字架の上で廃棄されました。そうすることで彼は、彼のからだのために平和をつくられました。この平和は、すべての信者を共に結び付け、こうして結合するきずなとなります。この平和の結合するきずなは、十字架の働きの結果です。わたしたちは、十字架にとどまるなら、他の人との間に平和を持ちます。この平和は、結合するきずなとなり、その中でわたしたちは、その霊の一を守るのです。 |
エペソ 4:3 注2 |
神の召しにふさわしく歩くために、正当なからだの生活を持つために、わたしたちはまず、一を顧みる必要があります。これは、キリストのからだにとって重要であり、必要不可欠なことです。厳密に言って、一は一致とは違います。一致は、多くの人々が共に結び合わされている状態ですが、一は、信者たちの中にあるその霊の一つ実体であって、それが彼らすべてを一にするのです。この一は、ひとりのパースン、キリストご自身であって、彼はわたしたちの中に住んでおられるその霊です。それは、多くの電灯の中を流れている電気に似ています。電気はすべての電灯を、それが輝く時に一つにします。電灯は、それぞれ分かれていますが、電気の中では一つです。 |
エペソ 4:3 注1 |
あるいは、防衛する、見張りして守る。その霊の一は、その霊ご自身です。その霊の一を保つとは、命を与える霊を保つことです。もしわたしたちがその霊から離れて行動するなら、分裂的になり、一を失います。命を与える霊にとどまっているなら、その霊の一を保つのです。 |
エペソ 4:4 注1 |
使徒は、一を守るようにと勧める時、わたしたちの一の基礎を形成する七つの事柄を示します。それは、一つからだ、一つ霊、一つ望み、一つ主、一つ信仰、一つバプテスマ、一つ神です。これら七つの「一つ」は、三つのグループから成ります。最初の三つは第一グループを形成し、その霊のグループであって、彼の表現としてのからだを伴います。このからだは、からだの本質としてのその霊ですでに再生され、今や浸透されつつあり、キリストの全き姿へと変貌させられていく望みを持っています。次の三つは第二グループを形成し、主のグループであって、わたしたちが彼に結合されるための信仰とバプテスマを伴います。七つの最後が第三グループ、一つ神と父であって、彼はすべての創始者、源です。からだの執行者としてのその霊、からだの創造者としての御子、からだの創始者としての父なる神―三一の神の三すべて―は、からだと関係があります。三一の第三が4節から6節(4―6節)で最初に述べられているのは、ここでのおもな関心がからだであり、その霊がからだの本質であり、からだの命と命の供給であるからです。次にその順序は御子へ、そして御父へとさかのぼります。 |
エペソ 4:4 注1 |
使徒は、一を守るようにと勧める時、わたしたちの一の基礎を形成する七つの事柄を示します。それは、一つからだ、一つ霊、一つ望み、一つ主、一つ信仰、一つバプテスマ、一つ神です。これら七つの「一つ」は、三つのグループから成ります。最初の三つは第一グループを形成し、その霊のグループであって、彼の表現としてのからだを伴います。このからだは、からだの本質としてのその霊ですでに再生され、今や浸透されつつあり、キリストの全き姿へと変貌させられていく望みを持っています。次の三つは第二グループを形成し、主のグループであって、わたしたちが彼に結合されるための信仰とバプテスマを伴います。七つの最後が第三グループ、一つ神と父であって、彼はすべての創始者、源です。からだの執行者としてのその霊、からだの創造者としての御子、からだの創始者としての父なる神―三一の神の三すべて―は、からだと関係があります。三一の第三が4節から6節(4―6節)で最初に述べられているのは、ここでのおもな関心がからだであり、その霊がからだの本質であり、からだの命と命の供給であるからです。次にその順序は御子へ、そして御父へとさかのぼります。 |
エペソ 4:4 注2 |
これは栄光の望み(コロサイ1:27)です。すなわち、わたしたちの体の変貌(ピリピ3:21)、神の子たちの出現(ローマ8:19,23―25)です。 |
エペソ 4:5 注1 |
この節は「一つ御子」と言わず、「一つ主」と言っています。ヨハネによる福音書では、わたしたちが信じるのは御子です(ヨハネ3:16)。ところが使徒行伝では、わたしたちが信じるのは主です(使徒16:31)。ヨハネの手紙では、御子は命を分け与えるためです(Iヨハネ5:12)が、使徒行伝では、主は昇天の後、権威を行使するためであり(使徒2:36)、それは彼の頭首権と関係があります。ですから、わたしたちが彼を信じることは、命と権威の両方と関係があります。それは彼が、わたしたちの命であり、かしらであるからです。からだのかしらとして(1:22)、彼は主です。クリスチャンが分裂するのは、かしらを無視するからです。すなわち、彼らは主の頭首権と権威を顧みないのです。 |