出典 |
フットノート |
エペソ 4:5 注2 |
信仰を通して、わたしたちは主の中へと信じ(ヨハネ3:36)、バプテスマを通して、彼の中へとバプテスマされ(ガラテヤ3:27.ローマ6:3)、アダムの中で終わらせられます(ローマ6:4)。信仰とバプテスマを通して、わたしたちはアダムからキリストの中へとすでに移し入れられ、こうして主に結合されています(Iコリント6:17)。わたしたちは、キリストを信じると直ちに、バプテスマされて、移し入れられることを完成すべきです。 |
エペソ 4:6 注2 |
これは、すべての信者のことを言っています。 |
エペソ 4:6 注1 |
神は万物の創始者であり、父はキリストのからだのための命の源です。 |
エペソ 4:6 注3 |
三一が、ここでさえ暗示されています。「すべての上に」はおもに御父のことを、「すべてを貫き」は御子のことを、「すべての中に」はその霊のことを言います。三一の神は、その霊としてわたしたちに臨むことによって、最終的にわたしたちすべての中へと入られます。キリストのからだの一は、神たる方の三一で構成されています。すなわち、源と起源としての御父は創始者であり、主とかしらとしての御子は完成者であり、命を与える霊としてのその霊は執行者です。三一の神ご自身は、わたしたちが日常生活の中で、彼を実際となし、経験する時、わたしたちの一の基礎、元素となられます。 |
エペソ 4:7 注1 |
キリストのからだに関しては、すべての基本的要素は一つですが、賜物(機能)は多くあり、さまざまです。 |
エペソ 4:7 注3 |
キリストの賜物の度量は、彼のからだの肢体の大きさです。 |
エペソ 4:7 注2 |
ここでは、恵みは賜物にしたがって与えられています。ところがローマ人への手紙第12章6節(ローマ12:6)では、賜物は恵みによって異なっています。恵みとは神聖な命であり、それが賜物を生み出し、供給するのです。ローマ人への手紙第12章では、賜物を生み出すのは恵みです。ですから、賜物は恵みにしたがっています。ここでは、恵みは賜物にしたがい、賜物の度量にしたがっています。これは、わたしたちの血液が体の各肢体に、その大きさにしたがって供給するのと似ています。 |
エペソ 4:8 注1 |
「高い所」は、詩篇第68篇18節(詩68:18)から引用されており、シオンの山のことであって(詩68:15―16)、神の住まわれる第三の天を象徴しています(列王上8:30)。詩篇第68篇は、契約の箱が勝利を得た後、神がその契約の箱の中でシオンの山に昇られたことを暗示します。詩篇第68篇1節(詩68:1)は、民数記第10章35節(民10:35)からの引用です。これは、詩篇第68篇の背景が、幕屋の中での神の動きであり、契約の箱がその中心であることを示しています。キリストの予表である契約の箱が行く所はどこでも、勝利が得られました。最終的に、この契約の箱は、凱旋してシオンの山の頂に昇りました。これは、キリストがどのようにして勝利を獲得し、もろもろの天に凱旋して昇られたかを描いています。 |
エペソ 4:8 注2 |
「者たち」は、贖われた聖徒たちのことを言います。彼らはキリストの死と復活によって救われる前、サタンによってとりこにされていました。キリストは彼の昇天において、彼らをとりことして引いて行かれました。すなわち、キリストは彼らをサタンのとりこから救い出して、ご自身に帰されました。これは、彼らを罪と死によってとりことしていたサタンを、キリストが征服し、勝利を得られたことを示しています。 詳訳聖書によれば、「彼はとりこにされていた者たちをとりことして引いて行き」を、「彼は征服された敵の行列を引いて行き」と訳しています。「征服された敵」とは、サタン、彼の天使たち、わたしたち罪人のことを言っているのでしょう。そしてサタン、罪、死に対するキリストの勝利のことをも示しているのでしょう。キリストが昇天された時、これらの征服された敵の行列があって、戦場からとりことして引いていかれ、キリストの勝利を祝賀しました。 |
エペソ 4:8 注3 |
ここの「賜物」は、さまざまな奉仕のための能力や力量を言うのではなく、11節(11節)の賜物のある人たち―使徒、預言者、伝道者、牧する者また教える者のことを言います。キリストは、彼の死と復活を通してサタンと死を征服し、罪人たちをサタンと死から救い出した後、彼の昇天において、彼の復活の命によって、その救われた罪人たち自身を、そのような賜物とされました。そして彼のからだを建造するために、彼らを彼のからだに与えられました。 |