出典 |
フットノート |
マタイ 14:19 注1 |
これは、人々を秩序正しく整理することであり、主の知恵と秩序正しさを示します。 |
マタイ 14:19 注2 |
天を見上げることによって、天の王は、彼の源が天におられる彼の御父であることを示されました。 |
マタイ 14:19 注3 |
わたしたちが主に持って行くものは何であれ、それが他の人への祝福となるためには、さかれなければなりません。 |
マタイ 14:19 注4 |
パンは弟子たちからであり、彼らはそれを主に持って行きました。主によって祝福され、さかれた後、パンは弟子たちに戻され、群衆に配られました。そのパンは彼らにとって、大きな満足となりました。これは、弟子たちが祝福の源ではなかったこと、彼らは主に用いられた通路にすぎなかったこと、主こそ人々の満足の源であることを示します。 |
マタイ 14:20 注1 |
十二の手かごにいっぱいのかけらは、復活したキリストが無制限で無尽蔵であるだけでなく、わたしたちに対する主の備えが豊富であり、わたしたちのすべての必要を満たして余りがあることも、示しています。 |
マタイ 14:22 注1 |
主が強いて弟子たちをご自身から去らせたのは、彼が一人になって、父と祈る時間をさらに多く持つためでした(23節)。 |
マタイ 14:23 注1 |
天の王は、御父の愛する子として(3:17)、人の立場に立ち(4:4)、一人になって、天におられる彼の御父に祈る必要がありました。それは、彼が御父と一つになり、彼が天の王国の設立のために地上で行なわれるどんな事においても、御父と共にいるためでした。彼は荒野ではなく、山の上で、すべての人から、彼の弟子からも離れて、ただ一人、御父と接触されました。 |
マタイ 14:23 注2 |
文字どおりには、夕方。ここの時間は15節(15節)より後です。ですから、ここの言葉は「夜」と訳されています。 |
マタイ 14:24 注1 |
幾つかの古代の写本は、すでに岸から何スタディアも離れて、となっています。(一スタディアは、約185メートルに等しい)。 |
マタイ 14:25 注1 |
ローマ軍は日没から夜明けまで、三時間ずつ、四つの夜回りを行ないました。第一は夕刻の夜回り、第二は真夜中の夜回り、第三は鶏の鳴く時の夜回り、第四は夜明けの夜回りです(マルコ13:35)。第四の夜回りは、おそらく午前三時から六時であったでしょう。 |