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出典

フットノート

エペソ 4:18 注2 これは神の非受造の、永遠の命です。人は創造の時、それを持っていませんでした。人は創造された後、創造された人の命をもって、命の木の前に置かれました(創2:8―9)。それは、人が非受造の神聖な命を受けるためでした。ところが人は、思いのむなしさの中へと落ち込み、その理解力が暗くなってしまいました。今や、そのような堕落した状態の中で、人は神の命に触れることができません。それは、人が悔い改めて(思いを神に向けて)主イエスを信じ、神の永遠の命を受けてはじめて可能です(使徒11:18ヨハネ3:16)。
エペソ 4:19 注1 ここの「感覚」は、おもに人の良心の感覚を言います。ですから、「感覚を停止して」とは、自分の良心を顧みないことを意味します。人が堕落した後、神は人が良心の管理を受けるように定められました。ところが堕落した人は、自分の良心を顧みないで、自分自身を淫蕩と情欲にゆだねてしまいました。
エペソ 4:20 注1 キリストはわたしたちにとって命であるだけでなく、模範でもあられます(ヨハネ13:15Iペテロ2:21)。彼は地上での生涯において、福音書に啓示されているように、一つのパターンを設定されました。次に彼は十字架につけられ、復活して、命を与える霊となられました。こうして彼は、わたしたちの中に入って、わたしたちの命となられました。わたしたちは彼の模範にしたがって彼から学ぶのですが(マタイ11:29)、それは、わたしたちの天然の命によってではなく、復活におけるわたしたちの命としての彼によってです。キリストを学ぶとは、キリストのパターンの中へと鋳込まれること、すなわち、キリストのかたちに同形化されることです(ローマ8:29)。
エペソ 4:21 注1 「実際はイエスの中にある」とは、四福音書に記録されているような、イエスの生活の実際の状態を言います。諸国民、堕落した民の不敬虔な歩みには、むなしさがあります。しかしイエスの敬虔な生活には真理、実際があります。イエスは神の中で、神と共に、神のために、すべてのことを行なう生活をされました。神は彼の生活の中におられ、彼は神と一つでした。これが「実際はイエスの中にある」ことの意味です。命としてのキリストをもって再生され、彼の中で教えられている、わたしたち信者は、実際はイエスの中にあるので、彼から学びます。
エペソ 4:22 注1 22節から24節(22―24節)は、わたしたちが何を教えられたかを見せています。それは、わたしたちが古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着た、ということです。わたしたちが古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着たことは、わたしたちがキリストを学んだことの現れです。
エペソ 4:22 注3 以前の生活の様式とは、思いのむなしさの中を歩くことです(17節)。
エペソ 4:22 注5 ここの定冠詞は強調であり、「あの欺き」は人格化されています。ですから、「あの欺き」は欺く者、サタンを言います。彼から、腐敗した古い人の情欲が来ます。
エペソ 4:22 注4 古い人はアダムに属します。アダムは神によって創造されましたが、罪のゆえに腐敗しました。
エペソ 4:22 注2 わたしたちはバプテスマされて、古い人を脱ぎ捨てました。わたしたちの古い人は、キリストと共に十字架につけられ(ローマ6:6)、バプテスマにおいて葬られました(ローマ6:4前半)。
エペソ 4:23 注2 これは信者の再生された、内住する神の霊と混ざり合った霊です。そのような混ざり合った霊は、わたしたちの思いの中へと広がっていき、こうしてわたしたちの思いの霊になります。わたしたちが造り変えのために新しくされるのは、そのような霊の中でです。
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