出典 |
フットノート |
エペソ 4:30 注2 |
17節から32節(17―32節)における使徒の勧告は、恵みと実際を基本的要素としているだけでなく、神の命(18節)と神の霊を積極面での基本的要因としており、悪魔(27節)を消極面での要因としています。わたしたちが主イエスのように、恵みと実際に満ちた生活を生きることができるのは、神の霊の中で神の命によってであり、悪魔に所を得させないことによってです。 |
エペソ 4:30 注1 |
聖霊を悲しませるとは、彼を不愉快にさせることです。聖霊は、わたしたちの中に永遠に住んでおられ(ヨハネ14:16―17)、決してわたしたちを離れ去ることはありません。ですから、わたしたちが彼にしたがって歩まない時(ローマ8:4)、すなわち、日常の歩みの詳細の中で、恵みと実際の原則にしたがって生きない時、彼は悲しまれます。 |
エペソ 4:30 注3 |
すなわち、要素としての聖霊です。わたしたちは聖霊の要素の中で、証印を押されました。これは、証印を押す要素としての聖霊で、神がわたしたちに証印を押されたことを示します。 |
エペソ 4:30 注6 |
第1章14節(1:14)のノート4を参照。 |
エペソ 4:30 注5 |
内なる証印としての聖霊は、わたしたちが救われた時から、絶えず神の要素で、わたしたちに証印を押しておられます。それは、わたしたちが性質において造り変えられ、ついには体が完全に変貌され、贖われるためです。ですから、この節は、わたしたちの体の贖いの日へと聖霊で証印を押された、と言うのです。 |
エペソ 4:30 注4 |
第1章13節(1:13)のノート1を参照。 |
エペソ 4:32 注1 |
ギリシャ語の言葉は、マタイによる福音書第9章36節(マタイ9:36)の「深くあわれまれた」と、ピリピ人への手紙第1章8節(ピリピ1:8)の「心の中」と同じ語根です。キリストを恵みと実際として享受することによってのみ、わたしたちは情け深くあることができ、こうして、互いに赦し合うことができます。 |
エペソ 4:32 注3 |
使徒は、この区分(17―32節)における彼の勧告の中で、神をわたしたちの日常生活のパターンとして示しました。その霊の中で、神の命によって、わたしたちは神が赦してくださったように、赦すことができます。 |
エペソ 4:32 注4 |
あるいは、恵みを示してくださった。 |
エペソ 4:32 注2 |
あるいは、恵みを示しなさい。 |