出典 |
フットノート |
エペソ 5:5 注3 |
キリストの王国は千年期であり(啓20:4,6.マタイ16:28)、神の国でもあります(マタイ13:41,43とノート)。信者は、すでに再生されて神の国の中に入り(ヨハネ3:5)、召会生活の中で今日、神の国の中に生きています(ローマ14:17)。すべての信者ではなく、ただ勝利者たちだけが、千年期にあずかるでしょう。来たるべき時代には、汚れ、敗北した者たちは、キリストと神の王国、千年期の中で何の嗣業も持たないでしょう(参照,マタイ5:20のノート3とヘブル12:28のノート1)。 |
エペソ 5:5 注1 |
ギリシャ語は、主観的な認識を意味します。 |
エペソ 5:5 注2 |
ギリシャ語は、客観的な知識を意味します。 |
エペソ 5:8 注1 |
わたしたちは、かつては暗かっただけでなく、暗やみそのものでした。今や、光の子供であるだけでなく、光そのものです(マタイ5:14)。光は神であるように、暗やみはサタンです。わたしたちが暗やみであったのは、サタンと一つであったからです。今やわたしたちが光であるのは、主の中で神と一つであるからです。 |
エペソ 5:8 注1 |
わたしたちは、かつては暗かっただけでなく、暗やみそのものでした。今や、光の子供であるだけでなく、光そのものです(マタイ5:14)。光は神であるように、暗やみはサタンです。わたしたちが暗やみであったのは、サタンと一つであったからです。今やわたしたちが光であるのは、主の中で神と一つであるからです。 |
エペソ 5:8 注3 |
神は光であるのですから、わたしたち、神の子供たちは光の子供です。 |
エペソ 5:8 注2 |
2節(2節)は、愛の中を歩きなさい、と言います。この節は、光の子供として歩きなさい、と言います。 |
エペソ 5:9 注1 |
善は、光の実の性質です。義は、光の実を生み出す方法、手順です。真理は実際、すなわち光の実の真の表現(神ご自身)です。光の実は、性質において善、手順において義、表現において真理でなければなりません。それは神が、わたしたちの日常の歩みの実際として表現されるためです。 善、義、真理にある光の実は、三一の神と関係があります。善は父なる神を指します。なぜなら、唯一善である方は神だからです(マタイ19:17)。義は子なる神を指します。なぜなら、キリストは神の義なる手順にしたがって、神の目的を成就しにこられたからです(ローマ5:17―18,21)。真理は霊なる神を指します。なぜなら彼は、実際の霊であるからです(ヨハネ14:17)。真理はまた、光の中にある実の表現をも指します。 |
エペソ 5:11 注1 |
実を結ばない暗やみのわざはむなしいです。しかし光の実は真理、実際です(9節)。 |
エペソ 5:11 注2 |
あるいは、あばきなさい、おおいを取りなさい。 |