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出典

フットノート

マタイ 14:25 注2 彼の弟子たちが波に悩まされていた間、主は波の上を歩かれました。これは、彼が宇宙の創造主、支配者であることを証明します(ヨブ9:8)。
マタイ 14:27 注1 あるいは、わたしである。
マタイ 14:30 注1 ペテロは舟から降り、主の言葉の中の信仰によって波の上を歩きました(29節)。しかしながら、彼が強い風を見た時、彼の信仰は消え失せました。彼は環境を見ることによってではなく(すなわち外観によってではなく)、主の言葉の中の信仰のみによって歩くべきでした。主に従って行く時、わたしたちは見えるものによってではなく、信仰によって歩くべきです(IIコリント5:7)。
マタイ 14:31 注1 主がペテロに「来なさい」(29節)と言われたので、ペテロはその言葉の上に立つべきであり、疑うべきではありませんでした。ですから、主は彼を叱責されたのです。信仰は主の言葉から来て、主の言葉の上に立ちます。主の言葉がある限り、わたしたちはただ彼の言葉を信じて、疑うべきではありません。
マタイ 14:32 注1 この奇跡は、主が天地の支配者であるだけでなく、彼に従う者たちの困難を顧みられることをも証明します。わたしたちが舟の中に主を迎える時、風はやみます。この章に記載された二つの奇跡は、キリストが宗教的、また政治的な者たちによって拒絶されていた間、彼と彼に従う者たちは、人里離れた所と嵐の海上にいたことを示しています。それにもかかわらず、彼は彼らの必要のために備えることができ、また困難の中の彼らを運んで行くことができるのです。
マタイ 14:33 注1 主が神の子であると認めることは、彼が神であるのを認識することです(ヨハネ5:18)。これは、弟子たちが主の神性を認識したことを示します(1:233:17)。
マタイ 14:36 注1 第9章20節(9:20)のノート4を参照。
マタイ 14:36 注2 文字どおりには、救われた。
マタイ 15:1 注1 主は拒絶する宗教家たちを放棄されたとはいえ、彼らはなおも主を悩ますことをやめようとしませんでした。彼らは自分たちの宗教活動の中心であるエルサレムから、主の落ち度を探しに、彼の所へやって来ました。しかしながら、彼らの悩ますことは、主が真の清さに関する真理を啓示する別の機会となりました(10―11,15―20節)。
マタイ 15:2 注1 これは、弟子たちが主に従う時、古い伝統を守らなかったことを啓示しています。彼らは天の王の臨在にだけ心を配り、他の事は何も考えませんでした。
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