出典 |
フットノート |
エペソ 6:5 注5 |
奴隷と主人との関係は、わたしたちの主人であるキリストとの関係の予表でもあります。わたしたちは奴隷のように、単一な心で彼に従うべきです。 |
エペソ 6:5 注3 |
恐れは奉仕のための内側の動機であり、おののきは外側の態度です。 |
エペソ 6:5 注4 |
単一であるとは、動機が純粋であり、他に何の目的もないことです。 |
エペソ 6:5 注2 |
使徒の時代には、奴隷は主人によって買い取られ、主人は彼らの命を支配する権利を持っていました。何人かの奴隷と主人は、召会の中で兄弟となりました。召会の兄弟として、彼らは平等で、差別はありませんでした(参照,コロサイ3:11)。しかし家では、奴隷である者は依然として、肉による主人である兄弟に従うべきでした。 |
エペソ 6:6 注1 |
もし奴隷である兄弟が自分の地位に立って主人に従うのでしたら、彼は主の目にキリストの奴隷であり、神のみこころを行ない、人にではなく主に仕えるように仕えます(7節)。 |
エペソ 6:6 注2 |
文字どおりには、魂から。これは肉体をもってだけでなく、心をもって仕えることを意味します。 |
エペソ 6:7 注1 |
6節(6節)のノート1を参照。 |
エペソ 6:8 注1 |
わたしたちは、何であれ良いことを行なうなら、主から同じものを報われるでしょう。それは、わたしたちへの報酬となるでしょう。 |
エペソ 6:9 注1 |
主人は、買い取った奴隷の命を支配する権利を持っていますが、おどすことはやめるべきです。なぜなら天におられる主は、彼らと奴隷たちの真の主人であるからです。 |
エペソ 6:10 注1 |
第1章1節から第6章9節は、召会が神の永遠のご計画を成就することに関する積極面での啓示を完成します。ところが消極的な面では、召会が神の敵を対処することについて、さらに取り扱うべきものがあります。 |