出典 |
フットノート |
エペソ 6:15 注1 |
足にはくのは、戦いの中でわたしたちが立つことを強めるためです。それは歩いたり走ったりするためではなく、戦いをするためです。 |
エペソ 6:16 注2 |
わたしたちは、真理を腰に帯として締め、良心は義で覆われ、平和を足にはき、全存在は信仰の盾で保護される必要があります。もしわたしたちが、実際(真理)としての神によって生きるなら、義を持ち(4:24)、そして義は平和を生み出します(ヘブル12:11.イザヤ32:17)。これらすべてを持てば、わたしたちは容易に、邪悪な者の燃える火の投げやりに抵抗する盾として、信仰を持つことができます。キリストはそのような信仰の創始者、完成者です(ヘブル12:2)。わたしたちは、戦いの中で固く立つために、神の武具であるこれら四つの項目すべてで、装備される必要があります。 |
エペソ 6:16 注1 |
信仰の盾は、敵の攻撃に抵抗して、自分自身を防衛するために取るものです。 |
エペソ 6:16 注3 |
燃える火の投げやりは、サタンの誘惑、提案、疑い、疑問、虚偽、攻撃です。燃える火の投げやりは、使徒時代に戦士が使ったものです。使徒はこの言葉を用いて、わたしたちに対するサタンの攻撃を例証しました。 |
エペソ 6:17 注1 |
救いのかぶとを受け取るのは、邪悪な者によって投げ込まれた否定的な思想に対して、わたしたちの思い、知性を覆うためです。このようなかぶと、このようなおおいは神の救いです。サタンはわたしたちの思いの中に、脅迫、思い煩い、心配、人を弱くさせるその他の思想を注入します。神の救いは、これらすべてに対抗してわたしたちが取るおおいです。そのような救いは、わたしたちが日常生活の中で経験する救いのキリストです(ヨハネ16:33)。 |
エペソ 6:17 注2 |
神の武具の六つの項目の中で、これだけが、敵を攻撃するために用いられるものです。 |
エペソ 6:17 注3 |
「すなわち」が指すのは、「剣」ではなく「霊」であって、これは、その霊が神の言葉であることを示します。その霊と言葉はどちらもキリストです(IIコリント3:17.啓19:13)。その霊と言葉としてのキリストは、敵を打ち破って殺すために、攻撃の武器としての剣でわたしたちを装備します。 |
エペソ 6:17 注4 |
これは、その霊があらゆる状況の中で、その瞬間に語られる即時的な言葉です。剣、その霊、言葉は一つです。聖書の恒常的な言葉が即時的な言葉となる時、その言葉は、敵を殺す剣としてのその霊です。 |
エペソ 6:18 注1 |
この句は、17節(17節)の述語「受け取りなさい」を修飾して、救いのかぶとだけでなく、神の言葉をも受け取るようにと言います。これは、わたしたちがすべての祈りと願いの手段によって、神の言葉を受け取る必要があることを示します。わたしたちは、神の言葉を受け取るために祈る必要があります。 神のすべての武具は、六項目から成ります。祈りは第七番目の項目と考えられます。それは、わたしたちが他の項目を適用して、武器を実行的に利用できるようにする唯一の、重要で、決定的な手段です。 |
エペソ 6:18 注2 |
祈りは一般的であり、願いは特別なものです。いずれも、わたしたちが正当な、勝利の召会生活を持つために必要とします。 |