出典 |
フットノート |
ピリピ 1:24 注1 |
使徒の考慮は利己的ではなく、聖徒たちのためでした。彼は主と召会によって完全に占有されていました。 |
ピリピ 1:25 注2 |
ここの「その信仰」は、聖徒たちが信じている内容を指します(ユダ1:3.IIテモテ4:7)。 |
ピリピ 1:25 注1 |
「進歩」は命の成長を指し、「喜び」はキリストの享受を指します。 |
ピリピ 1:26 注1 |
ここのギリシャ語は、誇ること、栄光とすること、歓喜することを意味します。 |
ピリピ 1:27 注1 |
わたしたちはキリストを経験するために、一つ霊の中でしっかりと立つだけでなく、一つ魂をもって、福音の信仰と共に奮闘する必要があります。キリストを経験することにおいて、福音の働きのために一つ魂であるのは、一つ霊の中にあるよりも難しいことです(2:20)。一つ魂であることは、わたしたちが霊の中で再生された後、さらに進んで、魂の中で、特に、魂の主要な、先導する部分である思いの中で、造り変えられることを必要とします。 |
ピリピ 1:27 注3 |
ここの信仰は人格化されています。信者たちは、一つ魂で、この人格化された信仰をもって、共に奮闘すべきです(比較、IIテモテ1:8のノート3)。 |
ピリピ 1:27 注2 |
競技者のように。 |
ピリピ 1:28 注1 |
彼らの存在と行ないのいっさいの滅び。 |
ピリピ 1:28 注2 |
あなたがたの存在と行ないのいっさいの救い(参照、1:19のノート1.2:12のノート4)。 |
ピリピ 1:29 注1 |
これは、信者がキリストの中へと信じることを通して持つ、キリストとの有機的結合を暗示しています。キリストの中へと信じるとは、わたしたちを彼と同化させ、両者を有機的に一つにすることです。 |