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出典

フットノート

ピリピ 2:11 注1 これは主を呼び求める、あるいは主の御名を呼び求めることです(ローマ10:9―1012―13)。
ピリピ 2:11 注3 すなわち、という結果になる。わたしたちがイエスは主であると言い表すことは、父なる神の栄光という結果になります。これは、キリストであることのすべて、彼のパースンとみわざの中で行われたことのすべての偉大な結果です(Iコリント15:24―28)。
ピリピ 2:12 注1 すなわち、前の節でキリストを従順の模範としたその結果として。
ピリピ 2:12 注2 これは、8節(8節)の「従順になられた」に対する応答です。
ピリピ 2:12 注5 恐れは内側の動機であり、おののきは外側の態度です。
ピリピ 2:12 注4 神の罪定めや、火の池からの永遠の救いではなく、日ごとの救いであって、これは生けるパースンです。この日ごとの救いは、わたしたちが生き、経験し、享受しているキリストを、外側でも内側でも模範とした結果です。この救いの主要な要素は、十字架につけられた命としてのキリスト(5―8節)、高く引き上げられたキリストです(9―11節)。このパターンが、信者の内なる命となる時、彼らの救いとなります。このことだけが、使徒の喜びを満たすでしょう。
第1章では、救いは、イエス・キリストの霊の満ちあふれる供給から来ますが、ここの救いは、わたしたちの内で活動される神から来ます。活動される神は、実はイエス・キリストの霊です。いずれの場合でも、救いは実行的であり、日ごとの、刻一刻の救いです。第1章19節(1:19)の常時の救いは、特定の人が、特別な状況の中で、特殊な境遇から救われることです。第2章12節(2:12)の常時の救いは、すべての信者が、日常生活の一般的な状況の中で、通常の事物から救われることです。
ピリピ 2:12 注3 すなわち、遂行する。究極の結末にもたらす。わたしたちは神の救いを受けました。この救いは、主イエスがそうであられたように、その絶頂として、栄光の中で、神によって高く引き上げられなければなりません(9節)。わたしたちは、恐れとおののきをもって、変わらない絶対的な従順によって、この救いを遂行し、それを究極の結末にもたらす必要があります。わたしたちはこの救いを、信仰によって受けました。今やそれを、従順によって遂行しなければなりません。その従順は、わたしたちの魂の中の本物の一つを含みます(2節)。この救いを信仰によって受けることは、一度限りです。それを遂行するのは、生涯のことです。
ピリピ 2:13 注1 「なぜなら」は、わたしたちが常に従わなければならない理由を示します。その理由は、神がわたしたちの内で活動されるからです。神のエコノミーにおいては、わたしたちは主イエスをわたしたちの模範とし(6―11節)、救いの標準とします(12節)。さらに、わたしたちの救いを遂行し、究極的結末にもたらすために、内側で願いと行動を起こさせる神を持ちます。わたしたちは自分自身によってそれを遂行するのではなく、神がわたしたちの内で活動して、それを行なわれるのです。わたしたちが行なうべき唯一の事は、内で活動される神に従うことです。
ピリピ 2:13 注6 すなわち、みこころの大いなる喜びです(エペソ1:5)。神の大いなる喜びは、わたしたちが神の究極の救いの頂点に達することです。
ピリピ 2:13 注4 願いは内側のもの、働きは外側のものです。願いは、わたしたちの意志の中で起こります。これは、神の活動がわたしたちの霊から始まり(比較、4:23)、思い、感情、意志にまで拡大することを示します。これは、ローマ人への手紙第8章に基づいています。そこでは、神の働きがわたしたちの霊から始まり(ローマ8:4)、思いを経過し(ローマ8:6)、最終的に肉体にまで達する(ローマ8:11)ことを見ます。
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