出典 |
フットノート |
ピリピ 2:13 注5 |
あるいは、活動する。この節の「活動する」と同じギリシャ語です。 |
ピリピ 2:13 注3 |
あるいは、活気づける。 |
ピリピ 2:13 注2 |
わたしたちの内で活動される神は、三一の神―父、子、その霊―・わたしたちの中のキリスト(IIコリント13:3前半、5)であり、わたしたちの中のその霊(ローマ8:11)である神です。三―その霊、神、キリストは一です。 |
ピリピ 2:14 注1 |
つぶやきは感情からであり、大半は姉妹たちから来ます。議論するのは思いからであり、おもに兄弟たちからです。両方とも、わたしたちの救いを最高の程度に完成するのを妨げ、そしてキリストを最大限に経験し、享受するのを妨げます。ここの文脈は、つぶやきと議論が、神への不従順によることを示します。神への従順は、すべてのつぶやきと議論を殺します。 |
ピリピ 2:15 注4 |
文字どおりには、曲がった、ねじくれた。 |
ピリピ 2:15 注1 |
あるいは、単純な、飾りのない(政治的でない)、純真な(マタイ10:16)。ギリシャ語の語源は、「混ざり気がない」です。「責められるところのない」は、わたしたちの外側の振る舞いを表し、「たくらみのない」は、内側の性格を表します。 |
ピリピ 2:15 注3 |
傷のないは、責められるところがなく、たくらみのないことの総合的特性です。 |
ピリピ 2:15 注2 |
わたしたちは、神の子供たちとして、神の命と神聖な性質を持っています(IIペテロ1:4)。 |
ピリピ 2:15 注6 |
サタンによって奪われた、暗い堕落した世です(Iヨハネ5:19.2:15―17)。「世にあって」は、「宇宙にあって」とも訳すことができます。 |
ピリピ 2:15 注5 |
ギリシャ語は、太陽の光を反射する発光体を言います。信者たちはそのような発光体として、この世に輝いています。彼ら自身には光はありませんが、キリストの光を反射する天的能力を持っています。キリストは太陽であり、召会(月)と聖徒たち(星)を持ち、命の言葉を提供することによって(16節)、ご自身を照らしておられます。 |