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出典

フットノート

ピリピ 2:16 注2 死んだ文字の教理とは違います。命の言葉は、神の生ける息吹き(IIテモテ3:16)、命を与える霊(ヨハネ6:63)です。わたしたちは、主イエスをわたしたちの模範として持つ時(6―11節)、内に活動される神を持ち(13節)、神の命と神聖な性質を持つ神の子供たちであり(15節)、キリストの神聖な光を反射するように資格づけられた発光体であり(15節)、命の言葉を持って、人に提供し、プレゼントします。何という神聖で豊富な備えでしょう! これによって、わたしたちは神の救いを、絶頂にまで完成することができるのです。
ピリピ 2:16 注1 文字どおりには、適用する、プレゼントする、ささげる。命の言葉を提供するとは、キリストを生かし出すことによって、世の人にそれを適用し、プレゼントし、ささげることです。
ピリピ 2:16 注4 主の再来の日であり、それは「主の日」(Iテサロニケ5:2IIテサロニケ2:2Iコリント1:8IIコリント1:14)とも、「かの日」(IIテモテ1:184:8)とも呼ばれます。かの日には、すべての信者はキリストの裁きの座の前に現れ、それぞれに値する報酬を受けるでしょう(IIコリント5:10マタイ25:19―30)。
ピリピ 2:16 注3 使徒の喜びが満ちるようにする(2節)方法は、キリストを模範とし、神の救いを完全に成し遂げることであり、それは使徒がキリストの日に、信者たちにおいて誇り、誉れを得、喜ぶことができるためです。
ピリピ 2:17 注4 ここの信仰はすべてを含んでおり、信じる行為以上に、多くを含みます。それは、信者たちがキリストから受け、経験し、享受したすべての構成であり、その総合的表現であって、基本的ささげ物としてのキリストを含んでいます。パウロの務めは、信者たちのすべてを含む信仰を生み出しました。そのような信仰が、信者たちによって、いけにえとして神にささげられました。パウロは、注ぎのささげ物となって、そのようないけにえの上に注がれることを喜びました。
ピリピ 2:17 注2 「あなたがたの信仰のいけにえと奉仕」は、ピリピの信者たちの信仰が、神にささげえられたいけにえであり、それはまた神に対する彼らの奉仕となったことを意味します。
ピリピ 2:17 注3 祭司による奉仕のような(参照、25節のノート3)。
ピリピ 2:17 注1 注ぎのささげ物は、レビ記第1章から第6章に啓示された基本的なささげ物に付け加えられたものです(民15:1―1028:7―10)。基本的なささげ物は、キリストの各面の予表でした。注ぎのささげ物は、ささげた人が享受したキリストを予表します。キリストの天のぶどう酒は、ささげる人を満たして、神へのぶどう酒とさえします。使徒パウロは、キリストを享受することによって、そのような注ぎのささげ物となりました(IIテモテ4:6)。それは、彼が血を流すことを通して、神へのいけにえとして、信者たちの信仰の上に注ぎ出されることができるためでした。
ピリピ 2:17 注5 これは、使徒が信者たちの信仰のいけにえの上に、注ぎのささげ物として、彼の血が流されるのを喜んだことを意味します。
ピリピ 2:17 注6 共に喜ぶとは、喜びを分け合うことを意味します。使徒は、ピリピ人の信仰のために殉教することで、彼らと喜びを共に分け合いました。ですから、この句は、彼がピリピ人を祝賀していたことを暗示します。
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