出典 |
フットノート |
ピリピ 2:18 注1 |
使徒は、ピリピ人の信仰のために彼が殉教することで、ピリピ人が彼を祝賀することによって、彼と喜びを共にすることを期待しました。 |
ピリピ 2:19 注1 |
あるいは、慰められ、励まされ、新鮮にされる。 |
ピリピ 2:20 注1 |
本書は、信者たちの魂について多く取り扱っています。わたしたちは一つ魂をもって、人格化された福音の信仰と共に奮闘しなければなりません(1:27)。わたしたちは、魂において結合され、一つの事を思わなければなりません(2節)。わたしたちは、キリスト・イエスの事柄を本気で心配する同じ魂とされなければなりません(20―21節)。福音の働きにおいて、信者たちの交わりにおいて、主の関心事を求めることで、わたしたちの魂が常に問題です。ですから、からだの生活の中で一つ魂であり、魂の中で結合され、同じ魂であるために、魂は、特にその主要な部分である思い(ローマ12:2)において、造り変えられなければなりません。 |
ピリピ 2:21 注1 |
文脈によれば、キリスト・イエスのことは、すべての聖徒を伴う召会に関することです。 |
ピリピ 2:22 注1 |
すなわち、実証された価値、試験されたことの証明。 |
ピリピ 2:22 注2 |
文字どおりには、奴隷として仕えた。 |
ピリピ 2:25 注1 |
まず兄弟、次に同労者、その次に戦友。 |
ピリピ 2:25 注2 |
使命を帯びて遣わされた者。 |
ピリピ 2:25 注3 |
17節(17節)の「奉仕」と同じギリシャ語の言葉から派生したもので、祭司のような務めをする奉仕者を言います。すべての新契約の信者は、神への祭司です(Iペテロ2:9.啓1:6)。ですから、わたしたちの主に対する務めは、どんな面においても、祭司の奉仕(17、30節)です。 |
ピリピ 2:30 注2 |
文字どおりには、魂。エパフロデトは、召会と聖徒たちのために、進んで自らの命をかけました。 |