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出典

フットノート

マタイ 15:14 注1 自分を義とするごう慢な宗教家たちは、自分は神に仕える道について明らかであると思っていましたが、実は盲人を手引きする盲人であることに気づいていませんでした。彼らの目は、彼らの宗教とその言い伝えによって覆われていました。ですから、彼らは神のエコノミーの実際を見ることができず、こうして、天の王国に入ることができませんでした。彼らの盲目は、彼らを「穴へ落ち込」ませました。
マタイ 15:19 注1 天の王国で、汚れとは物質的なことではなく、道徳的なことです。物質的なことは、天的支配と何の関係もなく、道徳的なことと関係があります。心から出て来るすべての邪悪なものは、わたしたちが天的支配の下にいないことを証明します。
マタイ 15:21 注1 拒絶する宗教家たちによるさらに激しい反対は、天の王をさらに遠く彼らから引き離し、ツロとシドンの地方へ、異邦人の国へさえ去らせました。
マタイ 15:22 注1 宗教的ユダヤ人が拒絶したために、天の王に接触する機会は異邦人に、弱い女にさえ及びました。
マタイ 15:22 注2 「主」という称号は、キリストの神性を暗示し、「ダビデの子」という称号は、彼の人性を暗示します。異邦人の女がキリストを主と呼んだのは正しいでした。ところが、彼女は主を「ダビデの子」と呼ぶ権利はありませんでした。そのように呼ぶ特権は、イスラエルの子たちだけに与えられていました。
マタイ 15:24 注1 主はイスラエルの家の失われた羊に遣わされました。しかしながら、この時、主は異邦人の領域に来ておられました。ですから、主は恵みにあずかる機会を、異邦人に与えられました。これには経綸上の意義があり、キリストはまずユダヤ人に来て、彼らの不信仰のゆえに、キリストの救いが異邦人に転向したことを示しています(使徒13:46ローマ11:11)。
マタイ 15:25 注1 神を礼拝するように。
マタイ 15:25 注2 二度目に彼女はキリストを「主」とだけ呼び、「ダビデの子」とは呼びませんでした。なぜなら、彼女は自分がイスラエルの子ではなく、異教徒であることを認識したからです。
マタイ 15:26 注1 天の王の務めは彼のすべての訪問先で、彼がご自身をさらに啓示する機会を造り出しました。第9章と第12章で造り出された状況で、主はご自身を医者、花婿、新しい布、新しいぶどう酒、羊飼い、真のダビデ、さらに大いなる宮、収穫の主、ヨナにまさるもの、ソロモンにまさるものとして、啓示する機会を得られました。ここでは、彼がご自身を子供たちのパンとして啓示するもう一つの機会が造り出されました。カナンの女は、彼を主、すなわち神聖なパースン、またダビデの子、すなわち支配する偉大で高貴な王族の子孫と考えました。しかし、彼は食べられる小さなパンくずとして、ご自身を彼女に開いて見せられました。これは天の王として、彼がパンとしてのご自身をもって、彼の民を養うことによって彼らを支配されることを示しています。わたしたちは、わたしたちの食物としての彼で養われることによってのみ、彼の王国における正当な民であることができます。キリストをわたしたちの供給として食べることが、王国の実際の中で王国の民となる道です。
マタイ 15:26 注2 これは主の目に、すべての異教徒は犬であり、神の目に汚れていることを示しています(レビ11:27)。
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