出典 |
フットノート |
ピリピ 3:3 注4 |
ここの肉は、わたしたちの生まれながらの人としての存在、持っているものすべてを含みます。ユダヤ教宣教者が自分の割礼に信頼したという事実は、彼らの信頼が彼らの肉にあり、その霊にはなかったことのしるしです。 |
ピリピ 3:3 注3 |
2節(2節)と3節(3節)には、三重の対比があります。神の霊によって仕える信者たちと犬どもとの対比、キリストの中で誇る信者たちと邪悪な働き人たちとの対比、肉に信頼しない信者たちと切断の者たちとの対比です。 |
ピリピ 3:5 注1 |
真のイスラエル人が割礼された日です(創17:12)。この日に割礼されることは、イシマエル人(イシマエルは、生まれてから十三年後に割礼されました―創17:25)や、後で割礼された改宗者たちと、彼を区別します。 |
ピリピ 3:5 注2 |
神の召された種族、アブラハムの真の種(ローマ11:1.IIコリント11:22)。パウロは、神の契約の種族へと接ぎ木された改宗者の子孫ではありませんでした。 |
ピリピ 3:5 注3 |
愛すべき忠信な部族、彼らの間に、王の都エルサレムと神の宮がありました(申33:12)。 |
ピリピ 3:5 注4 |
両方ともヘブル人の先祖を持つ、ヘブル人の父母から生まれたヘブル人です。 |
ピリピ 3:5 注5 |
モーセの律法は、すべての正当なユダヤ人が尊んだものです。 |
ピリピ 3:5 注6 |
パリサイ人は、ユダヤ教の中で最も厳格な派(使徒26:5.23:6)、モーセの律法に対して極度に熱心な派でした(参照、マタイ3:7のノート1)。 |
ピリピ 3:6 注1 |
モーセの律法とユダヤ教に対する熱心です(ガラテヤ1:14とノート1)。 |
ピリピ 3:6 注2 |
すなわち、責められるところがないと見られ、証明された。これは、人の目による、人の判断によるものです。神の目に、彼の義なる律法によれば、いかなる肉も、責められるところのないものはありません(ガラテヤ2:16後半)。 |