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出典

フットノート

ピリピ 3:9 注1 パウロは完全に、ユダヤ教の中で、律法の下にあり、常に他の人によって、律法の中に見いだされていました。ところが彼の回心の時に、彼は律法と以前の宗教から、キリストの中へと移し入れられ、「キリストの中にある人」となりました(IIコリント12:2)。今や彼は、彼を観察するすべてのもの―ユダヤ人、天使たち、悪鬼たちによって、キリストの中に見いだされることを期待しました。これは、彼の全存在がキリストに浸し込まれ、キリストで浸透されて、彼を観察するすべてのものが、彼を完全にキリストの中に見いだすのを熱望していたことを示します。わたしたちがキリストの中に見いだされる時にのみ、キリストは表され、大きく表現されるでしょう(1:20)。
ピリピ 3:9 注2 「わたし自身の義を持つのではなく・・・・神からの義を持って」とは、パウロがキリストの中に見いだされることを願った、その状態でした。彼は自分自身の義の中にではなく、神の義の中に生きることを願いました。また、律法を守ることによってではなく、キリストを生きることによって神を表現する、そのような卓越した状態の中に見いだされることを願いました。
ピリピ 3:9 注3 6節(6節)に述べられているような、律法を守るという人自身の努力から来る義。
ピリピ 3:9 注4 文字どおりには、キリストの信仰(参照、ローマ3:22のノート1)。わたしたちがキリストを信じる信仰は、わたしたちがキリストを知り、評価することから来ます。それは、わたしたちがキリストを評価することを通して彼ご自身が、わたしたちの中へと注入されて、わたしたちの信仰―彼を信じる(彼にある)信仰となります。ですから、わたしたちをキリストとの有機的結合へともたらすのは、キリストの信仰です。
ピリピ 3:9 注6 すなわち、信仰の基礎、条件の上に。信仰は基礎であり条件です。その上において、わたしたちは神からの義、最高の義、すなわちキリスト(Iコリント1:30)を受け入れ、所有します。
ピリピ 3:9 注5 この義は、わたしたちから生かし出された神ご自身であり、キリストを信じるわたしたちの信仰を通して、わたしたちの義となります。そのような義は、わたしたちの中に生きておられる神の表現です。
ピリピ 3:10 注1 パウロは、彼自身の義ではなく、神からの義を持つ状態の中に生きました。それは、キリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりを知る(経験する)ためでした。8節(8節)の、キリストを知る知識の卓越性を持つことは、啓示によります。しかし、ここでの彼を知ることは、経験―キリストの経験的な認識を持つこと、キリストを知る十分な知識の中で彼を経験することによります。パウロはまず、キリストの啓示を受けました。次に、キリストの経験―経験的な方法でキリストを知り、享受することを求めました。
ピリピ 3:10 注2 キリストの復活の力は、彼を死人の中から復活させた、彼の復活の命です(エペソ1:19―20)。キリストの復活の力の実際は、その霊です(ローマ1:4)。この力を知り、経験するには、キリストの死と一つになり、その死に同形化されることが必要です。死は復活の基礎です。キリストの復活の力を経験するには、彼がそうされたように、十字架につけられた命を生きる必要があります。わたしたちが彼の死に同形化されることは、彼の復活の力が起き上がる基礎を与え、彼の神聖な命が、わたしたちの中に表現されるようにします。
ピリピ 3:10 注3 これは、キリストの苦難にあずかること(マタイ20:22―23コロサイ1:24)、彼の死に同形化されることによって、彼の復活の力を経験するための必要条件です(IIテモテ2:11)。パウロは、キリストご自身の卓越性だけでなく、彼の復活の命の力と苦難にあずかることをも、知り、経験することを追い求めていました。キリストには、苦難と死が先に来て、復活が続きました。わたしたちには、彼の復活の力がまず来て、彼の苦難の交わりと彼の死に同形化されることが続きます。わたしたちはまず、彼の復活の力を受けます。次に、この力によって彼の苦難にあずかり、彼の死に同形化され、十字架につけられた命を生きることができます。そのような苦難は、おもにキリストのからだを生み出し、建造するためです(コロサイ1:24)。
ピリピ 3:10 注4 これは、キリストの死を生活の鋳型とすることです。パウロは、キリストが彼の人の生活で生きられたように、絶えず十字架につけられた命、十字架の下の命を生きました。そのような命を通して、キリストの復活の力が経験され、表現されます。キリストの死の鋳型は、キリストが絶えず彼の人の命を死に渡して、神の命によって生きられた経験(ヨハネ6:57)を言います。わたしたちは人の命に死に、神聖な命を生きることによって、わたしたちの生活が、そのような鋳型に同形化されなければなりません。キリストの死に同形化されることは、彼と彼の復活の力と彼の苦難の交わりを知り、経験する条件です。
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