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出典

フットノート

ピリピ 3:13 注1 パウロはすでにかなりキリストを経験し、獲得していましたが、彼を完全に経験し、極みまで獲得したとは思っていませんでした。彼はまだ目標―キリストを極限まで獲得することに向かって、努力し追い求めていました。
ピリピ 3:13 注2 キリストを極限まで獲得するために、パウロはユダヤ教における自分の経験を放棄しただけでなく、過去のキリスト経験の中にとどまろうともしませんでした。彼は過去を忘れました。自分の過去の経験を忘れるのではなく、そこにとどまっているのは、それがどんなに本物であったとしても、キリストをさらに追い求めることを妨げます。
ピリピ 3:13 注3 キリストは計り知れないほど豊富です。キリストの豊富には、所有されるべき広大な領域があります。パウロは体を伸ばして、この領域の極限にまで到達しようとしました。
ピリピ 3:14 注4 上に召されるのは賞を得るためであり、そのために、神はわたしたちを上から、天から召されました。この天の召し(ヘブル3:1)は、20節(20節)の天の国籍と一致します。それは、肉によるイスラエルの子供たちに与えられたような、地的な召しではありません。この上への召しは、キリストを占有するためでしたが、イスラエルの子供たちに与えられた地的な召しは、物質の土地を占有するためでした。
ピリピ 3:14 注3 これは、千年王国におけるキリストの極みまでの享受です。これは新約のレースで勝利を得た走者への褒賞です。
ピリピ 3:14 注2 キリストの極みまでの享受と獲得。
ピリピ 3:14 注1 12節(12節)のノート5を参照。
ピリピ 3:15 注1 すなわち、成熟した、完全な。成熟はある段階です。わたしたちは成熟していても、完全には成熟していないかもしれません。ここの「成人した者」は、相対的な意味(相対的に成熟しているのであって、子供のようでもなく、完全に成熟してもいない) において使われています。ですから、一層の追求、一層の成長が必要です。
ピリピ 3:15 注2 本書において、ピリピの信者たちに対する取り扱いは、思い、すなわち魂の主導的部分に焦点があります。本書は彼らに、人格化された福音と共に、一つ魂をもって奮闘するように(1:27)、同じ事を思うように、魂において結合され、一つの事を思うまでになるように(2:24:2)、キリストの中にあったその思いを彼らの内側でも思いとするように(2:5)、この一つ思い、すなわち、極限までキリストを追い求め、獲得することに焦点づけられた思いを持つように、と命じます。わたしたちの思いがこのように占有される時、わたしたちは同じ思いを持ち、同じ事を思い、一つの事(キリストを極限にまで得ること)を思い、魂の中で結合されて、同じ魂とされ(2:20)、一つ魂となります。
ピリピ 3:15 注3 キリストを追い求めることが、わたしたちの目標でなければなりません。わたしたちは、違った思いであるべきではありません。神は、わたしたちにそのような思い、キリストを追い求めることに焦点づけられた思いが必要であることを、啓示されます。神は絶えずわたしたちの思いを調整して、中心としてのキリストに向かわせることを、願われます。
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