出典 |
フットノート |
マタイ 15:27 注1 |
カナンの女は、主の言葉につまずくことなく、自分が異教の犬にすぎないことを認め、その当時キリストは子供たちであるユダヤ人に退けられた後、異邦人の分け前として食卓の下のパンくずになられたと考えました。イスラエルの聖地は食卓であって、その上に天のパンであるキリストが、イスラエルの子供たちの分け前として来られました。しかし彼らはキリストを、食卓から異邦人の地に投げ落としました。ですから彼は、異邦人の分け前として砕かれたパンくずになられたのです。この時、この異邦人の女は、何という理解を持ったことでしょう! 天の王が彼女の信仰を賞賛されたのも、不思議ではありません(28節)。 |
マタイ 15:29 注1 |
ユダヤ宗教に拒絶されたので、主はいやす光として諸国民のガリラヤにとどまられました。主はユダヤ人の宗教活動の中心地エルサレムへ、彼らをいやすために行こうとはされませんでした(13:15)。 |
マタイ 15:30 注1 |
文字どおりには、投げた。 |
マタイ 15:32 注1 |
キリストは、従う者たちが従って来る途中、空腹で弱り果てたままにしておかれません。 |
マタイ 15:33 注1 |
不毛の荒野であっても、どれほど大勢の人がいようとも、主は従って来る人たちを養い、満足させることができました。弟子たちは以前、第14章15節から21節(14:15―21)でこの事を経験しました。しかしながら、彼らは信仰の学課を学んでいなかったようです。彼らは主に目を向けないで、環境に向けたのです。しかし、主の臨在は豊富な蓄えにまさっていました。 |
マタイ 15:34 注1 |
主は常にわたしたちが持っているものを用いて、他の人を祝福しようとされます。 |
マタイ 15:36 注1 |
わたしたちが持っているものすべてを主にささげるなら、彼はそれを受け取り、それをさき、他の人に分配するよう、わたしたちに戻されます。すると、それは彼らにとって、満足とあふれるばかりの祝福になるでしょう(37節)。わたしたちが主にささげる物は、それがどんなに少量でも、彼の祝福の御手によって増し加えられ、大群衆の必要を満たします(38節)。こうして主の願いは満たされます(32節)。 |
マタイ 16:1 注1 |
第12章38節(12:38)のノート1を参照。続く節も同じ。 |
マタイ 16:2 注1 |
幾つかの権威ある写本は、ここから3節(2―3節)の終わりまでを省いています。 |
マタイ 16:3 注1 |
文字どおりには、天の面。 |