出典 |
フットノート |
コロ 1:11 注1 |
この力は、キリストの復活の力(ピリピ3:10)であるだけでなく、キリストご自身が発電機であって、絶えずわたしたちを力づけ(ピリピ4:13)、わたしたちが喜んで忍耐し、寛容をもってキリストを経験し、キリストを生きる生活をさせます。 |
コロ 1:12 注3 |
ここの光は、次の節の暗やみと対照的です。わたしたちは、サタンの権威の下にあった時、暗やみの中にいました。しかし今や、神の愛する御子の王国の中にあって、光の中で彼を享受しています。 |
コロ 1:12 注2 |
これは、嗣業の分け前のことを言います。それはイスラエルの子たちに、カナンの良き地の分け前が、彼らの嗣業として割り当てられたことで例証されます(ヨシュア14:1)。新約の信者の嗣業、彼らに割り当てられた分は、物質の地ではありません。それは、すべてを含むキリストです。彼は聖徒たちの享受のために、彼らの神聖な嗣業としての割り当てられた分です。 |
コロ 1:12 注1 |
父なる神は、子なる神の贖いによって、その霊なる神の聖別を通して、わたしたちがすべてを含むキリストに、すなわち、手順を経られた三一の神の化身に、聖徒たちの割り当てられた分としてあずかるようにと、資格づけてくださいました。 |
コロ 1:13 注2 |
文字どおりには、暗黒。 |
コロ 1:13 注1 |
キリストがからだのかしらであり、わたしたち、彼の信者が彼のからだの肢体であるために、神はわたしたちを暗やみの権威、サタンの王国(マタイ12:26後半)から救い出して、彼の愛する御子の王国へと移し入れる必要がありました。これは、わたしたちの割り当てられた分であるすべてを含むキリストにあずかるよう、わたしたちを資格づけることです。 |
コロ 1:13 注3 |
御子は、命の源なる御父の表現です(ヨハネ1:4,18.Iヨハネ1:2)。愛する御子は御父の愛の対象であって、神聖な愛の中で、わたしたちに対して命の化身となっておられます。 |
コロ 1:14 注1 |
13節(13節)の救い出すことは、サタンの邪悪な力を滅ぼすことによって、わたしたちの上に及ぶ彼の権威を対処します。ところがこの節の贖いは、神の義なる要求を満たすことによって、わたしたちの罪を対処します。 |
コロ 1:14 注2 |
罪は、原文は複数。罪の赦しは、わたしたちがキリストの中で持っている贖いです。キリストの死は贖いを成就して、わたしたちの罪を赦しました。 |
コロ 1:15 注1 |
神は目に見えません。ところが、神の愛する御子は、彼の栄光の輝き、彼の実質の明確なかたち(ヘブル1:3)であり、彼のかたちであって、神が何であられるかを表現します。ここのかたちは、物質の形ではなく、神であるすべての特質と美徳の表現です(参照,ピリピ2:6のノート2)。この解釈は、第3章10節(3:10)と、コリント人への第二の手紙第3章18節(IIコリント3:18)で確証されます。 |