出典 |
フットノート |
コロ 1:23 注1 |
わたしたちの信じる行為ではなく、わたしたちが信じる対象です。 |
コロ 1:23 注2 |
キリストはわたしたちの中で、栄光の望みです(27節)。この方から、わたしたちは移っていくべきではありません。 |
コロ 1:24 注1 |
キリストの苦しみは、二つの部類から成ります。一つは贖いを成就するためのものであり、それはキリストご自身によって成就されました。もう一つは、召会を生み出し、建造するためのものであり、それは使徒たちと信者たちによって、補い満たされる必要があります。 |
コロ 1:25 注3 |
エペソ第3章2節(エペソ3:2)のノート2を参照。 |
コロ 1:25 注1 |
前の節の「召会」のことを言っています。これはパウロが、ある教え、宣べ伝え、伝道の働きの奉仕者ではなく、召会、キリストのからだの奉仕者となって、それを建造するためであったことを示しています。 |
コロ 1:25 注2 |
ギリシャ語は、執事と同じ言葉であって、「仕える者」を意味します。 |
コロ 1:25 注4 |
神の言葉は、神聖な啓示です。これは、新約聖書が書かれる前には、完成されていませんでした。新約の時に、使徒たち、特に使徒パウロは、神の奥義(キリスト)において、またキリストの奥義(召会)において、神の言葉を完成しました。こうして、神のエコノミーの完全な啓示を、わたしたちに与えました。 |
コロ 1:26 注1 |
ギリシャ語の文法によれば、この節の「奥義」は、25節(25節)の「神の言」と同意語であって、奥義が神の言葉であることを示します。この奥義は、キリストと召会(エペソ5:32)、かしらとからだに関するものです。使徒パウロを通して、この奥義が啓示されるとは、神の言葉、すなわち神聖な啓示を完成することです。 |
コロ 1:26 注2 |
「各時代にわたって」は、永遠からを意味し、「各世代にわたって」は、もろもろの時からを意味します。キリストと召会に関する奥義は、永遠から、またもろもろの時から、新約の時代に至るまで隠されていました。この新約時代に、それはわたしたちすべてを含む聖徒たち、すなわちキリストにある信者たちに、明らかに示されました。 |
コロ 1:27 注1 |
異邦人の間にあるこの奥義の栄光の豊富は、異邦人信者たちに対してキリストであるすべての豊富(エペソ3:8)です。 |