出典 |
フットノート |
コロ 1:27 注2 |
「それ」は、「この奥義」を言います。この奥義は、異邦人の間で栄光に満ちており、それは、わたしたちの内にいますキリストです。わたしたちの内にいます命なるキリストは奥義であり、栄光でもあります。 |
コロ 1:27 注4 |
本書には、数多くの重要な句が、わたしたちのキリスト経験を示しています。「あなたがたの内にいますキリスト」(27節)、「キリストの中で完全に成長した」(28節)、「彼にあって歩きなさい」(2:7)、「キリストにしたがって」(2:8)、「キリストと共に生かし」(2:13)、「キリストと共に死んで」(2:20)、「かしらに結び付いて」(2:19)、「この方から」(2:19)、「神の増し加わりによって成長する」(2:19)。これらの表現は、正当なキリスト経験の完全な絵を与えています。 |
コロ 1:27 注3 |
わたしたちの霊の中に住んで、わたしたちの命、パースンとなっておられるキリストは、栄光の望みです。彼が来られる時、わたしたちは彼にあって栄光化されるでしょう。これは、内住のキリストが、わたしたちの全存在に浸透して、わたしたちの体が変貌され、彼の栄光の体へと同形化されることを示しています(ピリピ3:21)。 |
コロ 1:27 注5 |
キリストは今や、栄光に満ちている奥義です。この栄光は、キリストが再来して彼の聖徒たちを栄光化される時(ローマ8:30)、極限まで明らかにされるでしょう。ですから、それは望み、栄光の望みです。キリストご自身がまた、この栄光の望みです。 |
コロ 1:28 注2 |
前の節は、キリストがわたしたちの内におられる、と言います。この節は、わたしたちがキリストの中にある、と言います。まず、わたしたちがキリストの中に入れられ、そして、キリストがわたしたちの中におられます。わたしたちがキリストの中に入れば入るほど、彼はますますわたしたちの中に入ってこられ、彼がわたしたちの中に入れば入るほど、わたしたちはますます彼の中に入っていきます。この循環によって、わたしたちは命において成長するのです。 |
コロ 1:28 注1 |
あるいは、完成された、完全にされた、円熟した。「完成された」とは、質において完全であることを意味し、「完全にされた」とは、量において完全であることを意味します。使徒の務めは、キリストを告げ知らせることにおいても、知恵を尽くして人を戒め、教えることにおいても、すべてキリストを人に供給することでした。それは、彼らが神聖な命の要素であるキリストをもって、完全な成長へと円熟することにより、完成され、完全になるためです。 |
コロ 1:29 注2 |
エペソ第3章7節(エペソ3:7)のノート3、20節(20節)のノート3を参照。 |
コロ 1:29 注1 |
あるいは、格闘する(レスリングのように)。第4章12節(4:12)も同じです。 |
コロ 2:2 注1 |
人の心を慰めるとは、人を養い、愛をもって温めることです。それは、彼らの心が結び合わされて、神の奥義を理解する全き確信へと至るためです。 |
コロ 2:2 注2 |
これは神聖な愛であって、わたしたちが享受し、これによって神の愛される者を愛します。この愛は、聖徒たちを結び合わせる要因であり、要素です。 |