出典 |
フットノート |
コロ 2:2 注3 |
理解力から来る全き確信のあらゆる豊富は、神の奥義なるキリストを知る全き知識と等しいです。 |
コロ 2:2 注4 |
愛の中で結び合わされることは、感情と関係がありますが、理解力から来る豊かな全き確信は、思いと関係があります。わたしたちの心が慰めを受け、愛の中で結び合わされ、思いが正しく機能する時、わたしたちは神の奥義なるキリストを知る全き知識を持つでしょう。 |
コロ 2:2 注5 |
エペソ人への手紙はキリストの奥義、すなわち召会、からだに関する書です(エペソ3:4)。本書は神の奥義、すなわちキリスト、かしらに関するものです。 |
コロ 2:3 注1 |
歴史によれば、ギリシャ哲学を含むグノーシス派の教えが広がり、パウロの時代に、異邦人の召会へ侵入していました。ですから、使徒はコロサイ人に、真の知恵と知識のあらゆる宝は、キリストの中に隠されている、と言いました。これは、キリストと召会に関する、神聖なエコノミーの霊的知恵と知識です。知恵はわたしたちの霊と関係があり、知識はわたしたちの思いと関係があります(エペソ1:8,17)。 |
コロ 2:4 注2 |
わたしたちは、言葉巧みな弁舌や、雄弁さに気を付けるべきです。語る人は、とても言葉巧みで、とても雄弁であっても、彼の言葉巧みで雄弁な弁舌の中に、キリストの実際がないかもしれません。 |
コロ 2:4 注1 |
信者たちがたぶらかされ、とりことして奪い去られるには、哲学のような真理に近いものが、彼らを欺くのに用いられなければなりません。もしわたしたちが、神のエコノミーの中心としての、キリストの明確なビジョンを持っているのでしたら、だれも、わたしたちをたぶらかすことはできないでしょう(8節)。もしキリストを命とし(3:4)、からだのかしらとしての彼に結び付き(19節)、神の奥義としての彼を知り(2節)、栄光の望みとしての彼を経験し(1:27)、すべてを含む霊としての彼の中を歩くのでしたら(2:7)、何によっても、あるいはだれによっても、欺かれることはないでしょう。 |
コロ 2:5 注1 |
これは、聖霊が内住している人の霊です。 |
コロ 2:5 注2 |
文字どおりには、中へと。 |
コロ 2:6 注1 |
キリストは、聖徒たちの享受のために割り当てられた分です(1:12)。彼の中へと信じるとは、彼を受け入れることです。彼はすべてを含む霊として(IIコリント3:17)、わたしたちの中へと入り、わたしたちの霊の中に住み(IIテモテ4:22)、わたしたちのすべてとなられます。 |
コロ 2:7 注1 |
わたしたちは植物のように、生ける有機体です。わたしたちは、土壌、地であるキリストに根ざしました。それは彼のすべての豊富を、栄養分として吸収するためです。これらの豊富は、わたしたちが成長し、建て上げられる要素、実質となります。根ざすのは、命の成長のためです。この根ざすことは、すでに成就されました。建て上げられるのは、キリストのからだを建造するためです。これは今なお進行中です。これらの事はいずれも、キリストにあってです。 |