出典 |
フットノート |
コロ 2:10 注2 |
ここの支配と権威は、空中にあるサタンの手下ども、力ある地位を持った堕落の天使たちを指しています(参照,15節のノート2)。 |
コロ 2:11 注2 |
肉の体を脱ぎ捨てる割礼は、手にはよりません。それは、キリストの死によって成就されました。そして、力ある霊によって、適用され、執行され、完成されます。 |
コロ 2:11 注1 |
これは霊的割礼、キリストの割礼であって、正当なバプテスマを言います。バプテスマは、キリストの死の効力によって、肉の体を脱ぎ捨ててしまうことです。これは、禁欲主義と相対します(20―22節)。 |
コロ 2:11 注3 |
ここの「脱ぎ捨て」は、人が衣類を脱ぐように、何かを脱ぎ去ることです。 |
コロ 2:12 注1 |
バプテスマの中で葬られるとは、肉の体を脱ぎ捨てること、はぎ取ることです。 |
コロ 2:12 注3 |
信仰は、わたしたち自身のものではありません。それは、神の賜物です(IIペテロ1:1)。わたしたちは、神に戻って、彼と接触すればするほど、ますます信仰を持ちます。主は、わたしたちの信仰の創始者であり、完成者であられます(ヘブル12:2)。彼の中に住めば住むほど、ますますわたしたちの信仰としての彼が、注入されます。この生ける信仰は、生ける神の活動を通して生み出されました。わたしたちが、バプテスマの復活の面で象徴された、復活の命を経験するのは、この生ける信仰を通してです。 |
コロ 2:12 注2 |
バプテスマには、葬りの面があり、それはわたしたちの肉の終結です。また復活の面があり、それはわたしたちの霊の発芽です。復活の面において、わたしたちは神聖な命で、キリストにあって生かされます。 |
コロ 2:13 注1 |
罪のゆえに、霊の中で死んでいました。 |
コロ 2:13 注2 |
神はキリストの復活の中で、ご自身の神聖な命によって、わたしたちを共に生かしてくださいました。これは、キリストの復活の中で成就され(Iペテロ1:3)、わたしたちの信仰を通して経験されます。 |
コロ 2:14 注3 |
儀礼的な律法の規定と、その儀式、すなわち、生活や礼拝の形式や方法を言います。20節(20節)と21節(21節)も同じです。 |