出典 |
フットノート |
コロ 2:19 注2 |
「この方(かしら)から」という句は、キリストのからだが、かしらから成長することを示します。なぜなら、すべての供給は、かしらから来るからです。 |
コロ 2:19 注3 |
異端は聖徒たちをかしらから引き離し、からだを破壊しました。使徒の啓示は、キリストを高く上げて、からだを保護し、建造しました。 |
コロ 2:19 注4 |
節は、からだの供給のためです。 |
コロ 2:19 注5 |
筋は、からだの各肢体を共に結合するためです。 |
コロ 2:19 注7 |
キリストのからだの成長は、聖書の教理的な知識、礼拝の方法、あるいはそのたぐいの事柄とは、何の関係もありません。むしろ、からだの成長は、からだの中での神の増し加わり、神の要素が増加することにかかっています。 |
コロ 2:19 注6 |
成長するのは、命の事柄であり、命は神ご自身です。召会は、キリストのからだとして、キリストを奪われてはなりません。彼は命の源である神の化身です。キリストに付くことによって、召会は神の増し加わりによって、命としての神の増加によって成長します。 |
コロ 2:20 注1 |
あるいは、であるから。 |
コロ 2:20 注2 |
バプテスマの中で(ローマ6:3)。 |
コロ 2:20 注3 |
この世の初歩的な教えは、外側の物質的事柄の初歩的な原則です。それは、形式主義の子供っぽい教えであり、例えば禁欲主義のようなものです。これは神の道、十字架の道とは完全に異なっています(参照,8節のノート3)。 |
コロ 2:21 注1 |
これらは、物質に関する規定、規則、規制であって、動く物、食べられる物、触れることができる物を、それぞれ取り扱います。手に取り、味わい、触れるのは、実際上、あらゆる種類の行動を含みます。そして、それらに関する規定は、禁欲主義の実行と関係があります。 |