出典 |
フットノート |
コロ 3:11 注1 |
新しい人の中には、生まれながらの人がありません。それだけでなく、生まれながらの人は、新しい人の中に存在することが不可能であり、その余地がありません。 |
コロ 3:11 注8 |
新しい人の中には、キリストにしか余地がありません。彼は新しい人のすべての肢体であり、すべての肢体の中におられます。彼は新しい人の中のすべてです。事実上、彼が新しい人であり、彼のからだです(Iコリント12:12)。新しい人の中では、彼が中心性であり、普遍性です。彼は新しい人の構成要素であり、新しい人のすべてのすべてです。 |
コロ 3:11 注9 |
「すべて」とは、新しい人を構成するすべての肢体を言います。 |
コロ 3:11 注9 |
「すべて」とは、新しい人を構成するすべての肢体を言います。 |
コロ 3:12 注2 |
聖であるとは、世俗的、この世的ではなく、神へと聖別されている、という意味です。第1章2節(1:2)のノート1を参照。 |
コロ 3:12 注1 |
ここの「まといなさい」は、衣服を着るようにです。 |
コロ 3:13 注1 |
文字どおりには、あなたがた自身。 |
コロ 3:13 注2 |
赦す主は、わたしたちの命であり、わたしたちの中に生きておられます。赦すことは、彼の命の徳です。わたしたちが彼を命とし、パースンとし、彼によって生きる時、人を赦すのは自然なことであり、それはわたしたちのクリスチャン生活の徳となります。 |
コロ 3:14 注1 |
神は愛です(Iヨハネ4:16)。愛は神であることの本質、神聖な命の実質です。ですから、愛を着るとはわたしたちが、神の命の要素を着ることです。そのような愛は、完全、完成、円熟した徳を結び合わせる帯です。わたしたちは新しい人だけでなく(10節)、新しい人の徳と(12節)、すべての徳の上に愛を(14節)、着る必要があります。 |
コロ 3:14 注2 |
あるいは、完全。 |