出典 |
フットノート |
コロ 4:2 注2 |
祈りは、わたしたちが第1章から第3章で受けた恵みを保護します。 |
コロ 4:2 注3 |
祈りの中で、わたしたちは目を覚まし、警戒していて、怠慢になってはなりません。そのような目を覚ましていることには、感謝が伴うべきです。感謝に欠けるのは、祈っていないことのしるしです。祈りの生活は、感謝しつつ目を覚ましていることによって、守られます。 |
コロ 4:3 注1 |
これは、わたしたちが自分自身を、神の言葉に開き続けている必要があることを示します。 |
コロ 4:5 注1 |
エペソ第5章16節(エペソ5:16)のノート1を参照。 |
コロ 4:6 注1 |
エペソ第4章29節(エペソ4:29)のノート3を参照。わたしたちの口から出てくるすべての言葉は、キリストを伴っており、恵みであるキリストを語り出しているのでなければなりません。 |
コロ 4:6 注2 |
塩は、食物を味わい良く、口に合ったものとします。塩で味つけられた言葉は、わたしたちを互いに平安に保ちます(マルコ9:50)。 |
コロ 4:7 注1 |
7節から17節(7―17節)で、使徒の交わりは、使徒の時代に実行されていたように、新しい人は、使徒の働きの結果であったことを見せています。その働きは、信者たちが、新しい人の構成要素であるキリストを、彼らの享受として追い求めるように、励ましました。召会間の交流によって、わたしたちは実行上、新しい人の生活を経験します。そのような生活は、キリストをその実際としています。 |
コロ 4:12 注2 |
あるいは、完全。 |
コロ 4:12 注3 |
第1章9節(1:9)のノート1を参照。 |
コロ 4:12 注1 |
ギリシャ語で、ここの「立つ」は受動態です。ですから、置かれる、ささげられる、を意味します。これは、第1章28節(1:28)の「ささげる」と一致します。 |