出典 |
フットノート |
マタイ 16:18 注4 |
主が彼の召会建造を、ペンテコステの日に始められました(使徒2:1―4,41―42)。しかし、ここの主の予言は、二十世紀になってもまだ成就されていません。背教のローマ・カトリックとプロテスタントの諸宗派から成っているキリスト教世界は、主が建造された彼の召会ではありません。この予言は主の回復を通して成就されるのであり、真の召会の建造は主の回復において達成されます。 |
マタイ 16:18 注6 |
「ハデスの門」は、サタンの権威、あるいは暗やみの力(コロサイ1:13.使徒26:18)のことを言っています。キリストは、ご自身についてのこの啓示の岩の上に、またペテロのように造り変えられた人を石として、真の召会を建造しておられます。このような召会に、ハデスの門は打ち勝つことができません。この主の言葉は、サタンの暗やみの力が、召会を攻撃することも示しています。ですから、サタンの力、すなわちサタンの王国と、召会、すなわち神の王国との間には、霊的戦いがあるのです。 |
マタイ 16:19 注2 |
ここの「天の王国」は、前の節の「召会」と交互に使われています。これは、真の召会が、この時代における天の王国であることの強力な証拠です。これはローマ人への手紙第14章17節(ローマ14:17)で確認されており、その節で、神の王国は正当な召会生活であることが明白に述べられています。 |
マタイ 16:19 注1 |
歴史的に見れば、かぎは二つでした。ペテロはその一つのかぎを使って、ペンテコステの日にユダヤ人信者たちが天の王国に入る門を開きました(使徒2:38―42)。また彼はもう一つのかぎを使って、コルネリオの家で、異邦人信者たちが天の王国に入る門を開きました(使徒10:34―48)。 |
マタイ 16:19 注3 |
この福音書は、天の王国に関する書であり、天の王国は権威の事柄です。この書で啓示されている召会は、王国とその統治を代表します。ですから、縛ることと解くことの権威は、ここで召会の使徒ペテロに与えられただけでなく、召会そのものにも与えられているのです(18:17―18)。 |
マタイ 16:19 注4 |
召会の人たちが地上で縛ったり解いたりすることは何であれ、すでに天で縛られたり解かれたりしています。わたしたちは、天ですでに縛られたり解かれたりしているものを、地上で縛ったり解いたりすることができるだけです。 |
マタイ 16:19 注3 |
この福音書は、天の王国に関する書であり、天の王国は権威の事柄です。この書で啓示されている召会は、王国とその統治を代表します。ですから、縛ることと解くことの権威は、ここで召会の使徒ペテロに与えられただけでなく、召会そのものにも与えられているのです(18:17―18)。 |
マタイ 16:19 注4 |
召会の人たちが地上で縛ったり解いたりすることは何であれ、すでに天で縛られたり解かれたりしています。わたしたちは、天ですでに縛られたり解かれたりしているものを、地上で縛ったり解いたりすることができるだけです。 |
マタイ 16:20 注1 |
召会を伴うキリストに関する啓示は、常に宗教的な人々には隠されています。 |
マタイ 16:21 注1 |
キリストと召会に関する偉大な奥義の啓示の後に、キリストの十字架と復活が解き明かされます。キリストは彼の召会を建造するために、宗教活動の中心地へ行き、十字架を経過し、復活の中に入らなければなりません。 |