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出典

フットノート

1テサ 4:17 注1 すなわち、素早く、抵抗できないように奪い取られる。それは、使徒行伝第8章39節(使徒8:39)、コリント人への第二の手紙第12章2節(IIコリント12:2)、4節(IIコリント12:4)にあるのと同じギリシャ語です。ここでは、主の来られる時に信者たちの携え上げられることが、一般的に、慰めの言葉として述べられています。この事柄に関する詳細は、新約聖書のマタイによる福音書や啓示録のような他の書に啓示されています。
1テサ 4:17 注2 啓示録第12章の男の子、すなわち勝利者たちは、大患難の終わりの三年半の前に、第三の天の神の御座に引き上げられ、携え上げられます(啓12:5―6,14)。ここでは、主の来臨(パルーシア)の時に死人の中から復活した者たちと、その時に生きている者たちを含む信者の大部分が、空中へ携え上げられます。
1テサ 5:1 注1 主の来臨に関する時と時期。これは、2節(2節)の「主の日」によって確証されます。
1テサ 5:2 注2 前の章で、主の来臨は、おもに慰めと励ましのためです。この章で、主の日は、おもに警告のためです(3―6節)。なぜなら聖書の中で、主の日はおもに主の裁きと関連づけて述べられているからです(Iコリント1:83:135:5IIコリント1:14IIテモテ4:8)。
1テサ 5:2 注1 これは、主の到来の日が秘密にされていて、だれにも前もって知られることなく、突然に来ることを示します(マタイ24:42―43啓3:316:15)。
1テサ 5:3 注1 これは、主の再来が近づいた時、サタンにそそのかされて人々が行なう神への激しい反逆の結果です(2節)。
1テサ 5:6 注1 すなわち、警戒していない。次の節でも同じ。
1テサ 5:6 注2 「目を覚まして」は、次の節の「眠る」と対比しています。「冷静」は、「酔う」と対比しています。
1テサ 5:7 注1 麻ひした状態にある。
1テサ 5:8 注1 胸当てとかぶとは、いずれも霊的戦争を指しています。胸当ては信仰と愛の胸当てであって、わたしたちの心と霊を神の義にしたがって覆い、守ります(エペソ6:14)。かぶとは救いの望みであり(エペソ6:17)、わたしたちの知性、思いを覆い、守ります。信仰と愛と望みは、第1章3節(1:3)に描写されているように、真のクリスチャン生活の三つの基本的構造です。信仰は、心の一部分である意志(ローマ10:9)と、霊の一部分である良心(Iテモテ1:19)と関係があります。愛は、心の他の部分である感情(マタイ22:37)と関係があります。望みは、思いの機能である理解と関係があります。真のクリスチャン生活が維持されるためには、これらすべてが守られる必要があります。そのような生活は、目を覚まして冷静である生活です(6―7節)。この手紙の冒頭で、使徒は信者の信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐(1:3)を賞賛しました。この手紙の結びのこの箇所で、使徒が信者たちに戦うよう勧めたのは、これらの霊的美徳が覆われ、守られるためでした。
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