出典 |
フットノート |
1テサ 5:8 注3 |
これは、主の死を通してもたらされる永遠の滅びからの救いではなく、主の再来を通してもたらされる来たるべき破滅(3節)からの救いです。 |
1テサ 5:8 注2 |
わたしたちの主の再来の望み(1:3)。それは、来たるべき破滅(3節)と、旧創造の堕落の奴隷状態(ローマ8:21―25)からの救いとなります。 |
1テサ 5:8 注1 |
胸当てとかぶとは、いずれも霊的戦争を指しています。胸当ては信仰と愛の胸当てであって、わたしたちの心と霊を神の義にしたがって覆い、守ります(エペソ6:14)。かぶとは救いの望みであり(エペソ6:17)、わたしたちの知性、思いを覆い、守ります。信仰と愛と望みは、第1章3節(1:3)に描写されているように、真のクリスチャン生活の三つの基本的構造です。信仰は、心の一部分である意志(ローマ10:9)と、霊の一部分である良心(Iテモテ1:19)と関係があります。愛は、心の他の部分である感情(マタイ22:37)と関係があります。望みは、思いの機能である理解と関係があります。真のクリスチャン生活が維持されるためには、これらすべてが守られる必要があります。そのような生活は、目を覚まして冷静である生活です(6―7節)。この手紙の冒頭で、使徒は信者の信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐(1:3)を賞賛しました。この手紙の結びのこの箇所で、使徒が信者たちに戦うよう勧めたのは、これらの霊的美徳が覆われ、守られるためでした。 |
1テサ 5:9 注1 |
神は、わたしたちが激怒を受けるように定められたのではないので、わたしたちは目を覚まし、冷静であり、戦って(6,8節)、神と協力すべきです。それは、わたしたちが主イエスを通して救いを得るためです。 |
1テサ 5:9 注2 |
8節(8節)のノート3を参照。 |
1テサ 5:10 注1 |
主がわたしたちのために死なれたのは、わたしたちが永遠の滅びから救われるためだけでなく、彼の復活を通して、彼と共に生きるためでもあります。そのように生きることは、わたしたちを来たるべき破滅から救います。 |
1テサ 5:10 注2 |
あるいは、起きている。すなわち、生きている。 |
1テサ 5:10 注3 |
すなわち、死んでいる(4:13―15)。 |
1テサ 5:10 注4 |
一方で、主はわたしたちから離れておられ、わたしたちは彼の再来を待ち望んでいます。もう一方で、主はわたしたちと共におられて(マタイ28:20)、わたしたちは彼と共に生きることができます(ローマ6:8)。 |
1テサ 5:12 注2 |
ここで使徒はおそらく、教えることで労苦し、信者たちの間で指導する長老のことを言っているのでしょう(Iテモテ5:17)。 |