出典 |
フットノート |
1テサ 5:12 注3 |
指導するとは、おもに支配することではなく、まず事を行なう上で他の人が倣えるような模範を示すことです。長老は、教えることに労苦するだけでなく、模範として事を行なうべきでもあります。その模範は、彼らが人を諭す根拠となります。 |
1テサ 5:12 注2 |
ここで使徒はおそらく、教えることで労苦し、信者たちの間で指導する長老のことを言っているのでしょう(Iテモテ5:17)。 |
1テサ 5:12 注1 |
まず認識し、そして尊び、重んじる。 |
1テサ 5:13 注1 |
「推論する過程を通して、思いをある結論へと導く」(ビンセント)。ですから、思う、考える、評価する、尊敬する、重んじる。 |
1テサ 5:13 注2 |
指導する人たちを尊敬し、互いに平和であることは、地方召会の正常な状態です。 |
1テサ 5:14 注1 |
おそらく、怠惰で働こうとしない者たち、おせっかい屋(IIテサロニケ3:11)、取り扱われていない、規制されない、反抗的な者のことでしょう。 |
1テサ 5:14 注2 |
文字どおりには、小さな魂の、すなわち思い、意志、感情の容量が狭くて弱い。 |
1テサ 5:14 注3 |
おそらく、一般に弱い人たち、すなわち、霊、魂、体の面で弱いか、あるいは信仰において弱い人たちのことを言っているのでしょう(ローマ14:1.15:1)。 |
1テサ 5:14 注4 |
これは、地方召会において、ある者は気ままであって訓戒を必要とし、ある者は小心であって慰めを必要とし、ある者は弱くて支えを必要とするほかに、すべての肢体にも何かの問題があり得るので、わたしたちは辛抱強くなければならないことを意味しています。 |
1テサ 5:15 注1 |
これは、人がどのようにわたしたちを取り扱ったとしても、たとえそれが悪であったとしても、わたしたちは彼らに対して良いものを追い求めるべきであることを意味します。 |