出典 |
フットノート |
1テサ 5:16 注1 |
これは、14節から15節(14―15節)に述べられた状態に基づいています。 |
1テサ 5:17 注1 |
これは、わたしたちの霊の中で、神との不断の交わりを持つことです。それは、根気(ローマ12:12.コロサイ4:2)と、強い霊(エペソ6:18)を要します。 |
1テサ 5:18 注1 |
これは、すべてが共に働いてわたしたちの益となるからであり、わたしたちが造り変えられて、キリストのかたちに同形化されるためです(ローマ8:28―29)。 |
1テサ 5:18 注2 |
この句は、前の三つの項目を修飾します。神は、わたしたちが喜び、祈り、感謝する生活をすることを願われます。そのような生活は、神にとって栄光であり、彼の敵に対しては恥辱です。 |
1テサ 5:19 注1 |
その霊は、わたしたちの霊を燃やし(ローマ12:11)、わたしたちの賜物を燃え立たせます(IIテモテ1:6)。ですから、わたしたちはその霊を消してはなりません。 |
1テサ 5:20 注2 |
預言者の言葉、すなわち預言であって、啓示から来る預言の言葉を指しています。それは、必ずしも予言であるとは限りません(参照,Iコリント14:1,3―4とそこのノート)。 |
1テサ 5:20 注1 |
無視する、軽視する。 |
1テサ 5:21 注1 |
これは、預言を吟味すること(Iコリント14:29)、もろもろの霊を見分けること(Iコリント12:10)、霊を試すこと(Iヨハネ4:1)、神のみこころが何であるかをわきまえること(ローマ12:2), 神に喜ばれることが何であるかを、よくよく確かめること(エペソ5:10)を含んでいます。 |
1テサ 5:22 注1 |
ギリシャ語は、「種」(英語はspecies)を意味します。それは、すべて見えるもの、すべて知覚できるものを指します。ですから、光景です。それは、悪の外観を言っているのではなく、悪の種類、形態、姿、光景を言っています。信仰と愛と望みの中で聖なる生活を生きる信者たちは、どんな種類の悪からも遠ざかるべきです。 |
1テサ 5:23 注1 |
「そして」はこの節の、わたしたちの全存在を神が聖別してくださる祝福と、前の節の、あらゆる種類の悪から遠ざかるという命令とを結合します。一方で、わたしたちはあらゆる種類の悪から遠ざかり、もう一方で、神はわたしたちを徹底的に聖別してくださいます。わたしたちは聖なる生活のために、神と協力するのです。 |