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出典

フットノート

2テサ 1:1 注2 Iテサロニケ第1章1節(Iテサロニケ1:1)のノート2を参照。
2テサ 1:1 注1 Iテサロニケ第1章1節(Iテサロニケ1:1)のノート1を参照。
2テサ 1:3 注1 Iテサロニケ第1章3節(Iテサロニケ1:3)のノート2を参照。テサロニケ人への第一の手紙では、信仰と愛が、信者たちの召会のための生活の構成要素と考えられました。このテサロニケ人への第二の手紙では、信仰と愛が、テサロニケ人のクリスチャン生活の中で成長し、増し加わっています。
2テサ 1:4 注1 忍耐は、主の再来の望みから生じ、またその望みによって支えられました(Iテサロニケ1:3)。望みから生じるそのような忍耐には、常に信仰が伴っています。ですから、ここでは「忍耐と信仰」という句が使われています。忍耐と信仰のいずれも、迫害と患難の中で必要とされます。
2テサ 1:5 注1 神の裁きは、すべての人に対して義しく公正です。それは将来、完成されます(ローマ2:5―9啓20:11―15)。神がこの時代に、どのようにさまざまな人を取り扱われるかは、神が将来、義なる裁きを執行されることを示すもの、そのしるし、証明です。
2テサ 1:5 注2 信者たちは、神の王国と栄光の中へと召されました(Iテサロニケ2:12)。この王国の中へ入るために、わたしたちは苦難を通過する必要があります(使徒14:22)。ですから、迫害や患難は、神の義なる裁きの明白なしるしであって、わたしたちが神の王国にふさわしい者と勘定されるためであることを示します。
2テサ 1:7 注1 あるいは、安心、安楽、休息、解放。この時代では、信者たちは主のために迫害と苦しみを受けます。主の再来の時、彼らはその苦難から解放され、主の安息に入り、その解放を享受します。
2テサ 1:8 注1 幾つかの写本では、キリストという言葉が省かれています。
2テサ 1:9 注1 文字どおりには、顔。
2テサ 1:10 注1 主は栄光の主です(Iコリント2:8)。主は復活と昇天において、栄光を受けられました(ヨハネ17:1ルカ24:26ヘブル2:9)。 今や主は、栄光の望みとしてわたしたちの中にいて(コロサイ1:27)、わたしたちを栄光へもたらそうとしておられます(ヘブル2:10)。主の再来の時、一方で、彼は栄光をもって天から来られます(啓10:1マタイ25:31)。もう一方で、彼は聖徒たちの中で栄光を受けられます。すなわち、主の栄光は、信者の卑しい体を彼の栄光へと変貌させて、彼の栄光の体に(ピリピ3:21)、彼の肢体の内側から現されるのです。こうして彼は、彼を信じるわたしたちの間で、未信者たちによって驚嘆され、賞賛され、不思議に思われます。
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