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出典
フットノート
2テサ 3:11 注1
彼らは忙しかったのですが、仕事は何もしていませんでした。すなわち、自分のことではなく、人のことで忙しかったのです。
2テサ 3:14 注1
すなわち、交際しない、あるいは、付き合わない。
2テサ 3:16 注1
12節から15節(
12―15節
)の命令を守ることによって、信者たちは、あらゆる点で絶えず主からの平安にあずかります。
2テサ 3:18 注1
主を恵みとして享受する時にだけ、わたしたちは、いかなる種類の惑わしや気ままからも、召会生活を守ることができます。正当な召会生活を生きるにも、またそれを秩序のうちに保つにも、わたしたちは供給する恵みとして、主を享受する必要があります。Iテサロニケ第5章28節(
Iテサロニケ5:28
)のノート1を参照。
1テモ 1:1 注1
テモテへの第一の手紙は、召会に関する神のエコノミーをわたしたちに啓示し、テモテへの第二の手紙は、召会の衰退に対してわたしたちに予防接種をし、テトスへの手紙は、召会の秩序を維持することについて述べています。これらは、一つの目的の三つの面です。その目的とは、三一の神の正当な表現としての召会を保つことです。召会は、神聖な啓示の究極の部分であり、金の燭台で象徴されています(
啓1:12
,
20
)。この目的を成就するために、これら三つの書簡の中で、以下の基本的で重要な事柄が、繰り返し強調されています。
(1) その信仰、すなわち、神の新約エコノミーにしたがった完全な福音の内容。それは客観的な信仰であって、次の箇所で述べられています。Iテモテ第1章4(
Iテモテ1:4
)、19節(
Iテモテ1:19
)、第2章7節(
Iテモテ2:7
)、第3章9(
Iテモテ3:9
)、13節(
Iテモテ3:13
)、第4章1(
Iテモテ4:1
)、6節(
Iテモテ4:6
)、第5章8節(
Iテモテ5:8
)、第6章10(
Iテモテ6:10
)、12(
Iテモテ6:12
)、21節(
Iテモテ6:21
)、IIテモテ第3章8節(
IIテモテ3:8
)、第4章7節(
IIテモテ4:7
)、テトス第1章1(
テトス1:1
)、4(
テトス1:4
)、13節(
テトス1:13
)。
(2) 真理、すなわち、その信仰の内容の実際。それは次の箇所で述べられています。Iテモテ第2章4(
Iテモテ2:4
)、7節(
Iテモテ2:7
)、第3章15節(
Iテモテ3:15
)、第4章3節(
Iテモテ4:3
)、第6章5節(
Iテモテ6:5
)、IIテモテ第2章15(
IIテモテ2:15
)、18(
IIテモテ2:18
)、25節(
IIテモテ2:25
)、第3章7(
IIテモテ3:7
)、8節(
IIテモテ3:8
)、第4章4節(
IIテモテ4:4
)、テトス第1章1(
テトス1:1
)、14節(
テトス1:14
)。
(3) 健康な教え、健康な言葉(healthy words)、健康な言葉(healthy speech)、その信仰における健康。健康な教えは、Iテモテ第1章10節(
Iテモテ1:10
)、IIテモテ第4章3節(
IIテモテ4:3
)、テトス第1章9節(
テトス1:9
)、第2章1節(
テトス2:1
)で述べられています。健康な言葉(healthy words)は、Iテモテ第6章3節(
Iテモテ6:3
)、IIテモテ第1章13節(
IIテモテ1:13
)で述べられています。健康な言葉(healthy speech)は、テトス第2章8節(
テトス2:8
)で述べられています。その信仰における健康は、テトス第1章13節(
テトス1:13
)、第2章2節(
テトス2:2
)で述べられています。これらはすべて命の状態と関係があります。
(4) 命、すなわち、神の永遠の命。Iテモテ第1章16節(
Iテモテ1:16
)、第6章12(
Iテモテ6:12
)、19節(
Iテモテ6:19
)、IIテモテ第1章1(
IIテモテ1:1
)、10節(
IIテモテ1:10
)、テトス第1章2節(
テトス1:2
)、第3章7節(
テトス3:7
)で述べられています。
(5) 敬虔、すなわち、神の表現である生活。次の節で述べられています。Iテモテ第2章2(
Iテモテ2:2
)、10節(
Iテモテ2:10
)(神を敬う)、第3章16節(
Iテモテ3:16
)、第4章7(
Iテモテ4:7
)、8節(
Iテモテ4:8
)、第5章4節(
Iテモテ5:4
)(敬愛)、第6章3(
Iテモテ6:3
)、5(
Iテモテ6:5
)、6(
Iテモテ6:6
)、11節(
Iテモテ6:11
)、IIテモテ第3章5(
IIテモテ3:5
)、12節(
IIテモテ3:12
)、テトス第1章1節(
テトス1:1
)、第2章12節(
テトス2:12
)。その反対語である不敬虔は、次の箇所で述べられています。Iテモテ第1章9節(
Iテモテ1:9
)、IIテモテ第2章16節(
IIテモテ2:16
)、テトス第2章12節(
テトス2:12
)。
(6) 信仰、すなわち、福音、神、神の言葉とみわざを信じるわたしたちの行為。それは主観的な信仰であり、次の箇所で述べられています。Iテモテ第1章2(
Iテモテ1:2
)、5(
Iテモテ1:5
)、14(
Iテモテ1:14
)、19節(
Iテモテ1:19
)、第2章15節(
Iテモテ2:15
)、第4章12節(
Iテモテ4:12
)、第6章11節(
Iテモテ6:11
)、IIテモテ第1章5(
IIテモテ1:5
)、13節(
IIテモテ1:13
)、第2章22節(
IIテモテ2:22
)、第3章10(
IIテモテ3:10
)、15節(
IIテモテ3:15
)、テトス第2章2節(
テトス2:2
)、第3章15節(
テトス3:15
)。
(7) 良心、すなわち、わたしたちの霊の主要部分。それは人と神との関係、人と人との関係を義としたり、罪定めしたりします。それは次の箇所で述べられています。Iテモテ第1章5(
Iテモテ1:5
)、19節(
Iテモテ1:19
)、第3章9節(
Iテモテ3:9
)、第4章2節(
Iテモテ4:2
)、IIテモテ第1章3節(
IIテモテ1:3
)、テトス第1章15節(
テトス1:15
)。
その信仰は、神のエコノミー、神の家庭の管理、神の経綸の内容と等しいです。真理は、神のエコノミーにしたがったその信仰の内容、実際です。健康な教え、健康な言葉(healthy words)、健康な言葉(healthy speech)は、真理の務めであって、神聖な真理の実際を人々に供給します。永遠の命は、その信仰の神聖な実際を遂行する手段と力です。敬虔は、神聖な実際を表現する生活であり、あらゆる豊富における神を表現することです。(主観的な)信仰は、(客観的な)信仰の真理への応答であり、神聖な実際を受け入れて、それにあずかることです。良心は、試験、点検であり、わたしたちをその信仰の中に保ちます。
1テモ 1:1 注3
「わたしたちの救い主である神」(
1:1
.
4:10
.
テトス2:13
)、「神であるわたしたちの救い主」 (
2:3
.
テトス1:3
.
2:10
.
3:4
)は、これら三つの書簡(Iテモテ、IIテモテ、テトス)の中で、神に与えられた特別な呼び名です。この三つの書簡は、神の救いをその強い根拠としており、神の新約エコノミーについて教えています (
1:15―16
.
2:4―6
.
IIテモテ1:9―10
.
2:10
.
3:15
.
テトス2:14
.
3:5―7
)。パウロが使徒となったのは、そのような救う神、救い主である神の命令にしたがってであり、律法を与える神、要求する神の命令にしたがってではありませんでした。
1テモ 1:1 注4
キリスト・イエスは、神の油塗られた者(キリスト)であり、わたしたちの救い主(イエス)となって、わたしたちを救い、神の永遠の命を得させてくださいます。彼はまたわたしたちの望みであって、わたしたちを、この永遠の命の全き祝福と享受へもたらしてくださいます。パウロの使徒職の基礎であり条件である永遠の命の望み(
テトス1:2
)、わたしたちの待ち望んでいる大いなる神、わたしたちの救い主の栄光の出現である祝福された望み(
テトス2:13
)は、神のメシヤ、わたしたちの救い主のパースンと密接な関係があります。ですから、彼ご自身がわたしたちの望みであり、栄光の望みです(
コロサイ1:27
)。パウロが使徒となったのは、わたしたちの救い主である神の命令によるだけでなく、永遠の命をもってわたしたちを救い、この命の栄光の中へもたらす方の命令にもよります。彼の命令は、永遠の命のものであり、永遠の命によって成就されるべきです。それは、律法を与える神の命令と対照的です。律法を与える神の命令は、文字のものであり、人の努力を要求し、永遠の命の供給はありません。
1テモ 1:1 注2
パウロが使徒となったのは、神とキリストの命令にしたがってでした。彼は初期の手紙で、神のみこころによって使徒となったと言いました(
Iコリント1:1
.
IIコリント1:1
.
エペソ1:1
.
コロサイ1:1
)。神の命令は、神のみこころの明確な表現であり、さらに進んだ指図です。
1テモ 1:2 注2
テモテがパウロのまことの子供となったのは、天然の誕生によってではなく、信仰によってであり(すなわち、信仰の領域と要素の中で)、肉的にではなく霊的にでした。
1テモ 1:2 注1
ギリシャ語は、「敬う」と「神」から成る言葉です。ですから、その名前は、「神を敬う」という意味です。
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