出典 |
フットノート |
1テモ 3:11 注3 |
2節(2節)のノート4を参照。 |
1テモ 3:11 注4 |
8節(8節)の「卑しい利得をむさぼらず」と一致します。 女執事である姉妹は、あらゆる事柄、特に利得に関する事で、忠信で信頼できるものでなければなりません。 |
1テモ 3:12 注1 |
2節(2節)のノート3を参照。 |
1テモ 3:12 注2 |
兄弟が自分の子供たちと家庭をよく治めるのは、召会に仕える能力があることを証明します。 |
1テモ 3:13 注1 |
すなわち、仕える者。 |
1テモ 3:13 注2 |
神と人の前で、信者と聖徒としての堅固な、安定した地位を言います。執事として召会によく仕えることは、クリスチャンとしての足場を強めます。 |
1テモ 3:13 注3 |
あるいは、大いに確信を持つ。召会によく仕えることは、クリスチャンとしての信仰の大胆さ、確信を強めます。 |
1テモ 3:15 注2 |
あるいは、家庭。4(4節)、5(5節)、12節(12節)と同じ言葉。神の家庭、家族は神の家です。家と家庭は一つのもの、信者たちから成る会衆を指しています(エペソ2:19.ヘブル3:6)。この家は生ける神の住まいであり、その実際は、わたしたちの霊の中にあります(エペソ2:22)。わたしたちは、霊の中で生き、行動しなければなりません。そのようにして、この家の中で、神は生ける神として現されます。 |
1テモ 3:15 注1 |
これは、本書が、どのように地方召会を顧みるかについて教えていることを示しています。 |
1テモ 3:15 注3 |
召会の中に生きておられる生ける神は、召会に対して客観的でなく、主観的でなければなりません。異教の宮にある偶像には命はありません。神は生きておられます。彼は、生ける宮、召会の中で生きておられるだけでなく、活動し、行動し、働いておられます。彼が生きておられるので、召会も彼の中で、彼によって、彼と共に生きています。生ける神と生ける召会は、共に生き、行動し、働きます。生ける召会は、生ける神の家、家庭です。ですから、それは肉体における神の現れとなるのです。 |