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出典

フットノート

1テモ 3:15 注5 ここの真理は、神の新約エコノミーにしたがい、新約に啓示されているキリストと召会に関する実際の事柄を指します。召会は、これらすべての実際を支える柱であり、固く保つ基礎です。地方召会は、このような建造物であって、キリストと召会の真理、実際を固く保ち、支え、証ししなければなりません。
1テモ 3:15 注4 これは比喩的な言い方です。柱は建物を支え、基礎は柱を固く保ちます。召会はそのような、真理を支える柱、真理を固く保つ基礎です。
1テモ 3:16 注1 あるいは、だれもが承認して、異議なく、論争の余地なく。
1テモ 3:16 注2 文脈によれば、ここの敬虔は、神に対する敬虔な態度だけでなく、召会の中で神を生きること、すなわち、命としての神が召会の中で生かし出されることをも示しています。これは、キリストにある信者たちが宇宙的に承認している偉大な奥義です。
1テモ 3:16 注3 歴史的伝承によると、この六行から成る詩は、初期の召会の聖徒たちが愛唱した歌でした。「この方」はキリストを指しており、彼は敬虔の奥義として肉体において現されました。「敬虔の奥義」から「この方」へ言葉が変化しているのは、肉体における神の現れとしてのキリストが、敬虔の奥義であることを示します(コロサイ1:27ガラテヤ2:20)。この敬虔の奥義は、正当な召会の生活であり、そのような生活は、肉体における神の現れでもあります。
1テモ 3:16 注4 この現れは、受肉と人の生活を通してです(ヨハネ1:1,14)。「肉体において」は、人の姿、人の有り様においてを意味します(ローマ8:3ピリピ2:7―8)。キリストは、人の形で人々に現れましたが(IIコリント5:16)、人において現された神でもありました。
1テモ 3:16 注5 あるいは、立証された。受肉されたキリストは、人の生活において、その霊によって神の御子と立証されただけでなく(マタイ3:16―17ローマ1:3―4)、その霊によって義とされ、証明され、正しく義なる方であると承認されました(マタイ3:15―164:1)。彼は肉体において現されましたが、その霊において立証され、義とされました。彼は肉体において現されましたが、その霊において生き(ルカ4:1,14マタイ12:28)、その霊を通して、ご自身を神にささげられました(ヘブル9:14)。彼の変貌(マタイ17:2)と復活は、いずれもその霊における立証です。さらに、復活において、彼は命を与える霊と成って(Iコリント15:45IIコリント3:17)、わたしたちの中に住み、生きて(ローマ8:9―10)、肉体における神の現れ、すなわち敬虔の奥義となられました。ですから今や、わたしたちはもはや肉にしたがってではなく、その霊にしたがって、キリストとその肢体を知ります(IIコリント5:16)。肉体における神の現れが義とされたのは、その霊の中であり、その霊はわたしたちの霊と一つです(ローマ8:16)。ですから、わたしたちはわたしたちの霊の中で生き、振る舞い、この義とされることが完成されるようにしなければなりません。
1テモ 3:16 注6 御使いたちは、キリストの受肉、人の生活、昇天を見ました(ルカ2:9―14マタイ4:11使徒1:10―11啓5:6,11―12)。
1テモ 3:16 注7 肉体における神の現れとしてのキリストは、ペンテコステの日以来、諸国民の間に福音として宣べ伝えられてきました(ローマ16:26エペソ3:8)。ここでの諸国民とは、イスラエルの国民も含んでいます。
1テモ 3:16 注8 肉体における神の化身としてのキリストは、この世で、人々の救い主また命として信じられ、受け入れられてきました(使徒13:48)。
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