出典 |
フットノート |
2テモ 2:17 注1 |
あるいは、養う、食べる。文字どおりには、牧草にありつく。ヨハネ第10章9節(ヨハネ10:9)と比較。「ギリシャ語の牧草という言葉は、えそにかかり、体がむしばまれていく進行状態を表す医学用語である」(アルフォード)。ですから、ここでは「蔓延する」を意味します。 |
2テモ 2:18 注1 |
Iテモテ第3章15節(Iテモテ3:15)のノート5を参照。 |
2テモ 2:18 注2 |
すなわち、的をはずした、それた、逸脱した。 |
2テモ 2:18 注3 |
すなわち、今後、復活は起こらない。これは重大な異端であり、命の中の神聖な力を否定するものです(Iコリント15:52.Iテサロニケ4:16.啓20:4,6)。 |
2テモ 2:18 注4 |
これは主観的信仰、すなわち信じる行為です。それは、キリストの復活と非常に深い関係があります(ローマ10:9)。 |
2テモ 2:19 注1 |
14節から18節(14―18節)は、消極面で、異端をどのように対処するか、積極面で、真理をどのように取り扱うかについて指示を与えます。15(15節)、18(18節)、25節(25節)の文脈によれば、ここの土台は、召会の土台としてのキリスト(Iコリント3:11)ではなく、真理の土台としての召会を言っています。これは真理、特にキリストの復活の真理(使徒4:33)を保持する真理の基礎(Iテモテ3:15)と一致します。 召会は、キリストにある神聖な命で建造されます。その命は、不朽の、征服され得ない(ヘブル7:16.使徒2:24)ものであり、あらゆる源から来る、死に至らせる衰退に、抵抗することができます。ですから、召会は神の堅固な土台であって、いかなる異端にも対抗して、永久に変わることはありません。 |
2テモ 2:19 注2 |
証印には二つの面があります。主の側では、「主はご自分の者たちを知っておられる」です。これは、主の神聖な命に基づいています。その命は、信者すべてに与えられ、彼らを主との有機的結合にもたらし、主と一つにし、主のものとならせます。わたしたちの側では、「主の御名を呼ぶ者はみな不義から離れよ」です。これは神聖な命の結果です。すなわち、この命によって、わたしたちは不義から離れることができ、彼の聖なる御名の中で、責められるところのないものに保たれることができます。神聖な命の中の堅固な土台としての召会は、そのような両面の証印を持っています。それは、神聖な命がわたしたちを彼のものとし、彼の義なる道に反する事柄からわたしたちを守ってきたことを証しします。 19節(19節)は、16節から18節(16―18節)で暴露された者たちが、主のものでないことをはっきりと示しています。彼らの邪悪な行動は、このことの強い証拠です。 |
2テモ 2:20 注1 |
19節(19節)で定義された真の信者との対照を表しています。 |
2テモ 2:20 注2 |
テモテへの第一の手紙第3章15節から16節(Iテモテ3:15―16)で定義された神の家は、真理の土台として、その神聖な性質と本質的な特徴において真の召会です。ところが、ここの大きな家は、マタイによる福音書第13章31節から32節(マタイ13:31―32)(参照,マタイ13:32のノート1)の異常に大きくなった木で例証されているように、混成の特徴を持つ堕落した召会のことを言っています。この大きな家には、尊い器だけではなく、卑しい器もあります。 |
2テモ 2:20 注3 |
尊い器は、神の性質(金)と、贖われ再生された人の性質(銀)から成っています。テモテや他の真の信者たちのような人たちは、真理を保持する確かな土台を構成します。 |