出典 |
フットノート |
2テモ 4:22 注1 |
召会の堕落にいかに対抗するかに関して指示を与えている本書は、わたしたちの霊を特に強調します。冒頭で、本書は強い、愛する、健康な霊がわたしたちに与えられ、それによって、わたしたちは神の賜物を燃え立たせることができること、そして神の力と主の命を与える恵み(1:6―10)にしたがって、福音と共に苦難を受けることができることを強調します。その結びで、主がわたしたちの霊と共におられることを強調して、わたしたちを祝福します。それは、わたしたちが召会の衰退の堕落の潮流に対抗して立ち、また彼の内住の霊(1:14)と装備する言葉(3:16―17)を通して、神のエコノミーを遂行するための恵みとしての主を享受するためです。 |
2テモ 4:22 注2 |
召会の堕落が進んでいた期間、この悲しむべき時に必要とされるものは、神の永遠の恵みです。この恵みは永遠の中でわたしたちに与えられ(1:9), この時代にわたしたちによって使われています。この恵みは不朽の命の中にあり、それは神の御子キリスト以外の何ものでもありません。このキリストは、神聖な命の化身そのものであり、わたしたちの霊の中に住み、生きておられます。わたしたちはこの霊を活用して、キリストの豊富を(エペソ3:8)、十分な恵みとして(IIコリント12:9)享受する必要があります。このようにしてわたしたちはキリストをわたしたちの敬虔(Iテモテ4:7―8)として生き、キリストの証しとしての召会を建造し、神のエコノミーにしたがって、すべての神聖な実際(真理)を担うことができるのです。 |
テトス 1:1 注2 |
IIテモテ第2章10節(IIテモテ2:10)のノート1を参照。 |
テトス 1:1 注1 |
パウロは、四つの事にしたがって使徒となりました。(1)神の命令(Iテモテ1:1)。(2)命の約束(IIテモテ1:1)。(3)神に選ばれた人たちのその信仰。(4)敬虔に合う真理の全き知識。命令は神の側にあり、神のために語り、神のためにわたしたちに対して何かを要求します。信仰はわたしたちの側にあり、神の要求に反応し、神の命を受けます。信仰は、わたしたちが神の要求を満たすことができないこと、神がわたしたちのためにすべてを成してくださったこと、神が成してくださったことをわたしたちが受け入れることの宣言です。神が約束された命とは、神の要求を遂行するために、わたしたちが神から受けた命です。このようにして、パウロは神の新約エコノミーを遂行する使徒となったのです。 |
テトス 1:1 注4 |
神の永遠のエコノミーの真理、実際は、敬虔に合う真理です。敬虔とは、人において現された神です(参照,Iテモテ3:16のノート2と3)。使徒職は、神を信じる選びの民にこの実際を分与することであり、また御言とその霊の中での宣べ伝え、教え、実行を通して、彼らの間でそのような敬虔を達成することです(Iテモテ6:3)。 |
テトス 1:1 注3 |
Iテモテ第2章4節(Iテモテ2:4)のノート2を参照。パウロが使徒であったのは、その信仰にしたがってだけでなく、真理の全き知識にしたがってでもありました。信仰とは、神がわたしたちのために計画されたすべて、神がわたしたちのために成し遂げられたすべて、神がわたしたちに与えられたすべてを受け入れることです。真理の全き知識とは、真理の徹底的な把握、すなわち、わたしたちが信仰を通して受けた霊的で神聖な事柄の実際すべてを、完全に承認し、その真価を知ることです。使徒職は、神の永遠のエコノミーの実際を、そのように理解し、認識することによります。 |
テトス 1:2 注2 |
神聖な命、神の非受造の命は、単に時間的に永続するだけでなく、性質的に永遠であり、神聖です。IIテモテ第1章10節(IIテモテ1:10)のノート3を参照。 |
テトス 1:2 注1 |
パウロが使徒となったのは、その信仰と真理の知識にしたがってだけでなく、偽ることのできない神が、永遠の中で約束された永遠の命の望みに基づいてでもありました。これは、テモテへの第二の手紙第1章1節(IIテモテ1:1)にある「命の約束にしたがって」と一致します。「永遠の命の望みに基づいて」とは、永遠の命を基礎、条件とし、その望みに依り頼むことを意味します。永遠の命、神の非受造の命は、今日わたしたちがあずかり、享受するためだけでなく、永遠にわたってそれを完全に受け継ぐためでもあります(マタイ19:29)。わたしたちが今日、永遠の命を経験することは、将来それを受け継ぐ資格をわたしたちに与えます。今日、永遠の命の享受は前味わいです。来たるべき時代と永遠における永遠の命の相続は、全き味わいとなります。この相続は、永遠の命の望みです(参照,3:7のノート3)。これは、第2章13節(2:13)に啓示されている祝福された望みであり、それは完全な子たる身分の栄光の自由、わたしたちの体の贖い(ローマ8:21―25)、終わりの時に現される救い(Iペテロ1:5)、天に蓄えられている朽ちず、汚れず、しぼまない嗣業の生ける望み(Iペテロ1:3―4)から成っています。これが、テモテへの第一の手紙第4章8節(Iテモテ4:8)で言及されている永遠の命の祝福と享受です。それは、千年期と新天新地における、完全で、霊的で、神聖な、天的な、永遠の命の祝福と享受です(IIペテロ1:11.3:13.啓21:6―7)。パウロが自分の使徒職を受け、その使徒職の務めを成就したのは、現在の命の利益に基づいてではなく、律法の特権をその条件とすることでもなく、永遠の命の望みを条件とすることに基づいていました。それは、パウロが使徒職のために、すべての望みを伴う神聖な命に依り頼み、信頼していたことを示します。その望みは、神によって永遠の中で約束され、福音を通してわたしたちにもたらされたのです(IIテモテ1:10)。 この手紙は、召会の秩序の維持について書かれています。秩序の維持のためには、神に選ばれた人たちのその信仰、敬虔に合う真理、永遠の命を欠かすことができません。ですから、冒頭の言葉の中で、これら三つの事が提示されているのです。 |
テトス 1:2 注4 |
この世の始まる前に。 |
テトス 1:2 注3 |
これは、永遠において御父が御子に約束された約束に違いありません。御父はこの世の基が置かれる前から、御子の中でわたしたちを選び、御子を通してわたしたちを子たる身分へと、あらかじめ定められました(エペソ1:5)。御父は永遠において、彼の永遠の命を信者たちに与えることを、御子に約束されたに違いありません。この命によって、永遠の中で御子に与えられた信者たちは(ヨハネ17:2)、彼の兄弟となりました(ヘブル2:11)。 |