出典 |
フットノート |
テトス 3:5 注4 |
ここの「再生」のギリシャ語は、ペテロの第一の手紙第1章23節(Iペテロ1:23)の「再生された」のギリシャ語とは異なります。ここと同じ言葉が使われている他の唯一の箇所は、マタイによる福音書第19章28節(マタイ19:28)であり、そこでは、千年期における復興の意味で用いられています(参照,そこのノート1)。ここでは、それはある状態から別の状態への変化を言っています。再び生まれることは、この変化の開始です。再生の洗いは、わたしたちが再び生まれることで始まり、聖霊の更新をもって継続します。これは、神の新創造の過程、わたしたちを一人の新しい人にする過程です。それは、命による一種の改修、造り直すこと、改造です。バプテスマ(ローマ6:3―5)、古い人を脱いで新しい人を着ること(エペソ4:22,24.コロサイ3:9―11)、思いの更新によって造り変えられること(ローマ12:2.エペソ4:23)はすべて、このすばらしい過程と関係があります。再生の洗いは、わたしたちの古い人の古い性質のすべてのものを一掃します。そして聖霊の更新は、新しい何か、すなわち新しい人の神聖な本質を、わたしたちの中に分与します。この過程の中に、古い状態から完全に新しい状態へ、旧創造の地位から新創造の地位への変化があります。ですから、再生の洗いと聖霊の更新はいずれも、わたしたちの全生涯を通して内側で継続的に働き、新創造の完成へと至らせるのです。 |
テトス 3:5 注3 |
文字どおりには、洗盤。これは、汚れを洗うためのものです。 |
テトス 3:5 注5 |
テモテへの第一の手紙では召会が強調され(Iテモテ3:15―16)、テモテへの第二の手紙では聖書が強調され(IIテモテ3:15―16)、テトスへの手紙では聖霊が強調されています。召会は生ける神の家としての、肉体における神の表現です。それはまた真理の柱と基礎、すなわち偉大な奥義、肉体において現された神の神聖な実際です。聖書は神の息であり、神の神聖な本質を内容とし、それを伝達して、わたしたちを養い、装備し、完成し、成就して、わたしたちを神に役立つ者とします。聖霊は神聖なパースンであり、神聖な要素の中でわたしたちを洗い、更新して、神聖な性質をもってわたしたちを新創造とします。こうして、わたしたちは神の永遠の命の中で彼の相続人となって、三一の神のあらゆる豊富を受け継ぐのです。 |
テトス 3:6 注1 |
聖霊は人に届いた三一の神であり、わたしたちに与えられただけでなく、わたしたちの贖い主また救い主であるイエス・キリストを通して、わたしたちの上に豊かに注ぎ出されました。それは、神の永遠の命と神聖な性質を含む、キリストにあるすべての神聖な豊富をわたしたちに分与して、わたしたちが享受する永遠の分け前とするためです。 |
テトス 3:7 注1 |
この節は、神の救い(5節)と義認(7節)の結果と目標を言っています。この救いと義認は、再生の洗いと聖霊の更新(5―6節)を含んでいます。救いと義認の結果と目標は、永遠の命の望みにしたがって、わたしたちを神の相続人とすることです。 |
テトス 3:7 注2 |
4節(4節)に述べられている、神である救い主の恵みです(参照,ローマ3:24.5:2,15)。 |
テトス 3:7 注3 |
わたしたちは、子たちであるだけでなく、父の財産を受け継ぐ資格のある相続人でもあります(ローマ4:14.8:17.ガラテヤ3:29.4:7)。そのような相続人は、神の永遠の命から生まれました(ヨハネ1:12―13.3:16)。この永遠の命は、彼らがこの時代に神を生き、享受するだけでなく、来たるべき時代と永遠において、彼らにとって神であるすべての豊富を受け継ぐことを可能にします。ですから、永遠の命の望みがあるのです。今日、神の永遠の命はわたしたちの享受ですが、明日の望みでもあります(参照,1:2のノート1)。この望みにしたがって、わたしたちは神の相続人となり、永遠に神の豊富のすべてを受け継ぎます。これは、キリストにある恵みによってわたしたちに永遠の命を与える、神の永遠の救いの頂点、永遠の目標です。 |
テトス 3:8 注1 |
3節から7節(3―7節)の言葉。 |
テトス 3:8 注2 |
1節から7節(1―7節)で述べられた事柄。 |
テトス 3:8 注3 |
あるいは、一貫して、確実に、積極的に断言する(辛抱強さをもって、首尾一貫して)。テモテへの第一の手紙第1章7節(Iテモテ1:7)で使われたのと同じ言葉です。そこのノート2を参照。 |