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出典

フットノート

ピレ 1:11 注2 あるいは、使える。これはオネシモが回心し、進んでピレモンのもとへ帰ろうとしていたからです。
ピレ 1:12 注1 文字どおりには、はらわた。7節(7節)、20節(心)、ピリピ人への手紙第1章8節(ピリピ1:8)、第2章1節(情け深さ)、コロサイ人への手紙第3章12節(心)でも使われており、内側の愛情、心の優しさ、あわれみを示します。パウロの内側の愛情とあわれみは、オネシモと共にピレモンの所へ行ったのです。
ピレ 1:14 注1 主がわたしたちの同意なしに、何もしようとされないのと同じように。
ピレ 1:15 注1 「というのは」に続いて、12節(12節)の送り返すことの理由が述べられています。
ピレ 1:15 注2 「あるいは」は、単にへりくだりの表現であるだけでなく、彼が勝手な判断を下していないことを示しています。
ピレ 1:15 注3 彼を完全に所有する。
ピレ 1:16 注1 この短い手紙は、キリストのからだのすべての肢体が、神の永遠の命と神聖な愛において平等であることを示すという、特別な目的を果たしています。まだ野蛮であったパウロの時代に、強力な奴隷制度は、キリストの命によって、信者たちの間で無効にされました。クリスチャンの交わりにおける愛の感覚はとても強く、優勢であったので、堕落した人類の間の邪悪な社会秩序は自然に無視され、奴隷解放のための制度改正の必要はありませんでした。神聖な誕生と神聖な命による生活のゆえに、キリストにあるすべての信者は、召会の中で平等な身分を持っています。召会とは、キリストにある新しい人であり、自由人と奴隷の区別はありません(コロサイ3:10―11)。これは、三つの事実に基づいています。(1)キリストの十字架上の死が、一人の新しい人を創造するために、さまざまな生活様式の規定を廃棄したこと(エペソ2:15)。(2)わたしたちはみなキリストの中へとバプテスマされ、彼の中で一つとされて(ガラテヤ3:27―28)、いかなる相違もないこと。(3)新しい人の中では、キリストがすべてであり、すべての中におられること(コロサイ3:11)。平等な交わりにおける、そのような愛を伴うこの命は、召会の中で良い秩序を維持し(テトス)、召会に関する神のエコノミーを遂行し(Iテモテ)、召会の衰退の潮流に対抗して立つ(IIテモテ)ことができます。新約聖書の配列において、この手紙が前の三冊の書の後に置かれたことは、主の主権です。
ピレ 1:16 注2 あるいは、奴隷以上。オネシモは自由人以上、愛すべき兄弟でした。
ピレ 1:16 注3 ここの「愛する兄弟」、「姉妹」(2節)、「わたしたちの愛する同労者」(1節)、「わたしたちの戦友」(2節)、「わたしの同労者」(24節)、「わたしと共に囚人となっている」(23節)、「パートナー」(17節)はみな、親密な言葉であって、新しい人の肢体たちとの関係における、使徒の親密な感情を現しています。
ピレ 1:16 注4 すなわち、肉にあって奴隷として、また主にあって兄弟として。肉においては、オネシモは奴隷としての兄弟であり、主の中では、兄弟としての奴隷でした。
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