出典 |
フットノート |
ピレ 1:22 注1 |
この期待は、彼が獄から解放され、再び諸召会を訪問したいという望みで、ピリピ人への手紙第1章25節(ピリピ1:25)と第2章24節(ピリピ2:24)でも表されています。 |
ピレ 1:23 注1 |
エパフロデト(ピリピ2:25.4:18)の短縮形。 |
ピレ 1:25 注1 |
パウロはいつも自分の書簡の受取人に、その冒頭と結びの両方で、主の恵みをもってあいさつしました。これは、パウロが主の恵みに信頼していたこと、彼らがこの恵みによって、パウロが書いたことを成就するのを確信していたことを示します。パウロ自身も恵みによって、自ら書いたことを成就しました(Iコリント15:10)。使徒パウロの完成する啓示のような高い啓示を成就するためには、人の努力は役に立ちません。ですから、主の恵みが必要です。 |
ピレ 1:25 注2 |
ガラテヤ第6章18節(ガラテヤ6:18)のノート2を参照。 |
ピレ 1:25 注3 |
幾つかの古代の写本では、アーメンが加えられています。 |
ヘブル 1:1 注1 |
神は語られました! 神を賛美します! 神がもし語られなければ、神は奥義的です。しかし彼は語って、ご自身を啓示されました。彼はもはや奥義的ではありません。今や彼は、啓示された神です。 この書の強調点は、人が語ったのではなく、神が語られたことです。それゆえに、本書の著者がだれであるかは述べられておらず、旧約聖書からのどの引用にも、だれからの引用なのかが述べられていないのです。本書の観念によれば、全聖書はすべて神の語りかけです。ですから、本書が旧約聖書に言及する時、常にそれは聖霊の語りかけであるというのです(3:7.9:8.10:15―17)。 |
ヘブル 1:1 注2 |
旧約で、神が民に語られたのは、一回だけでなく、一つの方法でだけでもなく、多くの部分に分けて、多くの方法ででした。すなわち、神はある部分では、一つの方法で父祖たちに、他の部分では、別の方法でモーセを通して、ある部分では、一つの方法でダビデを通して、他の部分では、さまざまな方法で多くの預言者たちを通して語られました。 神の語りかけである本書が「ヘブル人への手紙」という名であるのは、最もふさわしく意味深いです。最初のヘブル人はアブラハムであり(創14:13)、信仰によって神に触れたすべての人の父です(ローマ4:11―12)。ですから神は、「ヘブル人の神」と呼ばれています(出9:1、13)。「ヘブル」という言葉の語根は、「越える」を意味します。それは特に川を越える、すなわち川のこちら側から向こう側に越えること、一つの側から別の側に越えることを意味します。ですから、ヘブル人とは川を渡る者です。アブラハムはそのような人でした。大いなる川ユフラテの向こうにあった偶像の地、カルデヤからカナンの地へ、ユフラテのこちら側の神を礼拝する地(ヨシュア24:2―3)に、彼は渡ってきたのです。本書における神の語りかけの意図は、主を信じたのに、なおもためらっているユダヤ教の中のユダヤ人が、律法を離れて恵みの側に渡ってくること(4:16.7:18―19.12:28.13:9)、旧契約を離れて新契約に渡ってくること(8:6―7、13)、旧約の儀式の奉仕を離れて新約の霊的実際に渡ってくること(8:5.9:9―14)、すなわち、ユダヤ教を離れて召会に渡ってくること(13:13.10:25)、地上の事柄を離れて天の事柄に渡ってくること(12:18―24)、祭壇のある外庭を離れて神のおられる至聖所に渡ってくること(13:9―10.10:19―20)、魂を離れて霊に渡ってくること(4:12)、真理と命の初歩を離れて、真理にある命の円熟に渡ってくることでした(5:11―6:1)。主を信じたユダヤ人だけでなく、信仰によって神に触れた者もみな、そのように川を渡る者であるべきです。これが本書における神の語りかけの目的です。 |
ヘブル 1:2 注1 |
ヘブル語の語法は、律法の時代の終わりを示しており、その時メシヤが紹介されます。イザヤ書第2章2節(イザヤ2:2)、ミカ書第4章1節(ミカ4:1)を参照。 |
ヘブル 1:2 注2 |
旧約では、神は彼の霊によって感動された預言者たちや人々において語られました(IIペテロ1:21)。新約では、彼は御子の中で、御子のパースンの中で語られます。御子は神ご自身(8節)、表現された神です。父なる神は隠されており、子なる神は表現されています。神を見た者はだれもいません。神の言としての御子(ヨハネ1:1.啓19:13)と神の語りかけが、神の完全な表現、説明、定義として、神を明らかに示したのです(ヨハネ1:18)。 御子は本書の中心、焦点です。神たる方にあって、彼は神の栄光の輝き、彼の本質の明確なかたちです。創造において、彼は(1) 宇宙が造られた手段(2節)。(2) 万物を維持し、担っている力(3節)。(3) 万物を継ぐように定められた相続者です。贖いにおいて、彼は人の罪のきよめを成し終えてから、天で神の右に座しておられます(3節)。 この書は旧約と新約の対比を啓示します。旧約は文字と儀式の中の律法に属し、人に属し、地的で、一時的なもの、見えるもので、その結果、ユダヤ教と呼ばれる宗教が生まれました。新約は命に属し、霊的、天的、永続的であり、信仰によるもので、神の御子であるパースンに焦点づけられています。 |
ヘブル 1:2 注3 |
2節から3節(2―3節)の御子についてのこの短い紹介は、御子のパースンと働きを説明しています。そのパースンにおいて、御子は神の栄光の輝き、神の本質の明確なかたちです。その働きにおいて、御子は宇宙を創造し、万物を維持し、わたしたちの罪をきよめられました。 |